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聖書の42番目の書 ― ルカによる書

聖書の42番目の書 ― ルカによる書

聖書の42番目の書 ― ルカによる書

筆者: ルカ

書かれた場所: カエサレア

書き終えられた年代: 西暦56-58年ごろ

扱われている期間: 西暦前3年-西暦33年

1 ルカはどのような福音書を書きましたか。

ルカの福音書は,鋭い知力と優しい心とを持つ人によって書かれました。こうした優れた資質の配合と,そこに加えられた神の霊の導きの結果として,正確で,しかも温かさと情感のあふれる記述がまとめられました。冒頭の句の中で,筆者はこう述べます。「私も,すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどりましたので,それを……あなたに,論理的な順序で書いてお伝えすることを思い定めました」。彼の詳細かつ細心な記述法は,こうした主張の正しさを十分に裏付けています。―ルカ 1:3

2,3 どんな外的また内面的な証拠は,医者ルカがこの福音書の筆者であることを示していますか。

2 その記述のどこにもルカの名は出て来ませんが,古代の権威者たちは,ルカがその筆者であるという点で一致しています。この福音書はムラトーリ断片(西暦170年ごろ)の中でルカの著作とされており,イレナエウスやアレクサンドリアのクレメンスなどの2世紀の著述家によって受け入れられていました。内面的な証拠もその点を強力に裏付けています。パウロは,コロサイ 4章14節で,彼のことを「愛する医者ルカ」と呼んでおり,ルカのこの書は,医師のような教養のある人に期待されるような学者的な作風を備えています。ルカは用語を巧みに選択しており,その語彙は他の3人の福音書筆者のそれを合わせたよりも広範なものなので,重要な主題を極めて慎重に,また包括的な仕方で扱うことができます。放とう息子に関するルカの記述は,短い物語としては最高の傑作であると評する人もいます。

3 ルカは医学用語,もしくは医学的な意味を付した言葉を合計300以上も用いています。それらの用語は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の他の筆者によって(たとえ少しは用いられているにしても)同じ仕方で用いられているわけではありません。 * 例えば,らい病について述べるとき,ルカは他の人々と必ずしも同じ用語を用いていません。それら他の筆者にとって,らい病はらい病でしたが,医者ルカにとっては,例えば「体じゅうらい病の人」について述べている場合のように,同じらい病でもいろいろな段階があります。ラザロについて,ルカは,「かいようだらけの身」であった,と述べています。福音書筆者たちの中で,ペテロのしゅうとめが「高い熱」を出していた,と記している人はほかにいません。(5:12; 16:20; 4:38)他の3人も,大祭司の奴隷の耳をペテロが切り落としたことを述べていますが,イエスがその奴隷をいやしたことにも言及しているのはルカひとりです。(22:51)ある婦人について,「十八年のあいだ虚弱の霊につかれた女がいた。彼女は体が折れ曲がり,身を起こすことが全くできなかった」と記すのは,いかにも医師らしい描写です。そして,あるサマリア人が行なった救急処置についてあれほど詳細に記録したのは,『愛される医者ルカ』以外のいったいだれでしょうか。そのサマリア人は,「その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をし(た)」のです。―13:11; 10:34

4 ルカによる書が書かれたのはいつごろと考えられますか。その時のどのような状況がその見方を支持していますか。

4 ルカがこの福音書を書いたのはいつでしょうか。「使徒たちの活動」の1章1節は,その書の筆者(それもルカであった)がもっと前に「最初の記述」,つまりルカの福音書を書いていたことを示しています。「使徒たちの活動」は,西暦61年ごろ,ルカが,カエサルへの上訴の時を待っていたパウロと共にローマにいた間に書き終えられたと考えて,まず間違いはないでしょう。したがって,この福音書の記述は,西暦56年から58年ごろ,カエサレアで書かれたと考えられます。それは,パウロの3回目の宣教旅行が終わってルカが彼と共にフィリピから帰ってからのことであり,パウロが上訴のためローマに連れて行かれる前,カエサレアの獄で2年間待っていた間のことです。その期間,ルカはそこ,パレスチナにいましたから,イエスの生涯と宣教に関し,『すべてのことについて始めから正確にそのあとをたどる』のに好都合な場所にいました。こうして,ルカの記述はマルコの福音書よりも先にできたと考えられます。

5 ルカはイエスの生涯の出来事について『正確にそのあとをたどる』ための資料をどこから得たと考えられますか。

5 ルカは12使徒の一人ではなく,イエスの死後にはじめて信者になったとさえ考えられますから,彼自身は,自分の福音書に記録したすべての事柄の目撃証人ではありませんでした。しかし,宣教者としての活動の分野でパウロと極めて密接に交わっていました。(テモテ第二 4:11。フィレモン 24)したがって,当然予想されることですが,ルカの書いたものにはパウロの影響が表われています。その点は,ルカ 22章19,20節とコリント第一 11章23節から25節にある主の晩さんに関する二人の記述を比べると,分かります。それ以外の資料として,ルカはマタイの福音書を参照することもできたでしょう。そして,『すべてのことについて正確にそのあとをたどる』ために,イエスの生涯の出来事に関する多くの目撃証人,つまり当時まだ生き残っていた弟子たち,そして恐らくはイエスの母マリアにも親しく会見することができたでしょう。わたしたちは,信頼できる細目事項を集めるために彼があらゆる手段を尽くしたことを確信できます。

6 ルカの福音書に記録されている事柄のうち彼独自の部分はどれほどありますか。彼はだれを対象として書きましたか。なぜそのように答えますか。

6 四福音書の記述を調べると明らかになる点ですが,その筆者たちは単に他の話を繰り返し述べているのではなく,また,極めて重要なこの聖書の記録についてただ幾通りかの証言を提供することを目的としているのでもありません。ルカの記述はその資料の取り上げ方の点で極めて個性的です。その福音書に記述されている事柄のうち59%までは彼独自のものです。彼は,他の福音書に述べられていない,少なくとも六つの特定の奇跡とその2倍以上の数のたとえ話を記録しており,自分の福音書の3分の1を説明に,3分の2を話された言葉にあてています。四つの福音書の中で一番長いのはルカの福音書です。マタイは主にユダヤ人を対象として書き,マルコはユダヤ人ではない読者,特にローマ人を対象として書きました。ルカの福音書は「きわめて優れたテオフィロ」にあてられており,彼を通してほかの人たち,つまりユダヤ人とユダヤ人でない人たちの双方にあてられています。(ルカ 1:3,4)自分の記述に全人類的な訴えを添えようとしたルカは,イエスの系図を『神の子アダム』にまでさかのぼっています。これは,特にユダヤ人のために書いたマタイがその系図をアブラハムで止めているのと異なっています。ルカは,イエスが「諸国民からベールを取り除く」ための手段となるというシメオンの預言的な言葉に特に注目し,「肉なる者はみな神の救いの手だてを見るであろう」と記しています。―3:38; 2:29-32; 3:6

7 ルカの福音書が信頼の置けるものであることをどんな事実が強力に証言していますか。

7 その記述全体を通じて,ルカは,自分が傑出した語り手であることを示しています。彼の記述はよく整えられており,かつ正確です。ルカの記述にあるこうした正確さと忠実性こそ,その信ぴょう性の強力な証拠となっています。法律関係の一著述家はかつてこのように述べました。「伝奇物語,伝説,虚偽の証言などは,それが取り上げる出来事の起きた場所をどこか遠い所にし,起きた時間をあいまいにするものである。こうしてそれらは,われわれ法律を扱う者が優れた弁論に見る第一の法則,つまり,『供述は時間と場所を明示せよ』という点に反するのである。他方,聖書は,そこに記述する事柄の時間と場所を最高度の正確さで示している」。 * その証拠として,彼はルカ 3章1節と2節を挙げています。「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年,ポンテオ・ピラトがユダヤの総督,ヘロデがガリラヤの地域支配者,一方その兄弟フィリポがイツリアおよびテラコニテ地方の地域支配者,そしてルサニアがアビレネの地域支配者であった時,祭司長アンナス,およびカヤファの時代に,神の宣言が荒野においてゼカリヤの子ヨハネに臨んだ」。ここに時間や場所に関してあいまいさは全くありません。ルカは高官の名を7人も挙げており,それによってわたしたちは,ヨハネ,ならびにイエスの宣教開始の時期を確証することができるのです。

8 ルカはイエスの誕生の時期をどのように「正確に」示していますか。

8 ルカはルカ 2章1節と2節で次のように述べて,イエスの誕生した時期を確定するための手掛かりとなるものをも二つ与えています。「さてそのころ,人の住む全地に登録を命ずる布告がカエサル・アウグスツスから出た。(この最初の登録はクレニオがシリアの総督であった時に行なわれたものである)」。ヨセフとマリアが登録のためにベツレヘムに行ったのはこの時であり,ふたりがそこにいる間にイエスが生まれました。 * わたしたちは一注釈者の次のことばに同意せざるをえません。「ルカが常に何とかして完ぺきなまでの正確さをもって記述しようとする姿勢は,その史的感覚をこの上なく徹底的に試す試金石の一つである」。 * わたしたちは,「すべてのことについて始めから正確にそのあとをたど(った)」というルカの主張が正当なものであることを認めなければなりません。

9 ルカの記録したイエスのどんな預言は西暦70年に著しい成就を見ましたか。

9 ルカは,ヘブライ語聖書の預言がイエス・キリストにいかに正確に成就したかについてもはっきり示しています。彼は,その点に関し,霊感のもとになされたイエス自身の証言を引用しています。(24:27,44)さらに彼は,将来に起きる事柄に関するイエスの預言をも正確に記録しています。その中には,その詳細な予告どおり,驚くほどの成就をすでに見たものも多くあります。例えば,まさにイエスの予告どおり,エルサレムは先のとがった杭の攻囲柵で囲まれ,西暦70年に恐怖の大虐殺に遭って滅びました。(ルカ 19:43,44; 21:20-24。マタイ 24:2)ローマ軍に同行して目撃証人となった一般の歴史家フラビウス・ヨセフスは,杭を用意するため,周辺のいなかは16㌔ほど遠くまで樹木をすべて伐採され,攻囲柵は長さ7.2㌔ほどに達し,多数の女子供が飢きんのために死に,そして100万人以上のユダヤ人が命を失い,9万7,000人が捕虜となったことを証言しています。今日に至るまで,ローマにあるティツスの凱旋門は,エルサレムの神殿からの戦利品を携えたローマ軍の凱旋行列の模様を描き出しています。 * わたしたちは,ルカの記録した霊感による他の預言も同じように正確に成就することを確信できるのです。

ルカによる書の内容

10 ルカは何を手がけますか。

10 ルカの導入のことば1:1-4)。ルカは,すべての事について始めから正確にそのあとをたどったこと,そしてそれを論理的な順序で書き記そうと思い定めたこと,それは,「きわめて優れたテオフィロ」がそれらの事の「確かさを十分に知(る)」ためであったことを記しています。―1:3,4

11 ルカによる書の初めの章にはどんな喜ばしい出来事が語られていますか。

11 イエスの幼いころの生活1:5-2:52)。ひとりのみ使いが老齢の祭司ゼカリヤに現われ,彼に息子が生まれること,そして彼はその子をヨハネと名づける,という喜びのたよりを伝えます。しかし,その男の子が生まれるまで,ゼカリヤはものを言うことができないでしょう。彼の妻エリサベツもまた,「ずっと年を取っていた」にもかかわらず,約束どおり妊娠します。その約6か月後,み使いガブリエルはマリアに現われ,彼女が「至高者の力」によって身ごもり,イエスと名づけるべき男子を産むことを告げます。マリアはエリサベツを訪ね,喜びのあいさつをした後,歓喜してこう語ります。「わたしの魂はエホバを大いなるものとし,わたしの霊は自分の救い主なる神のゆえに喜びにあふれます」。マリアは,エホバの聖なるみ名と,神を恐れる者たちに対するエホバの大いなる憐れみとについて語ります。ヨハネが誕生すると,ゼカリヤの舌は解け,ゼカリヤも神の憐れみについて語り,ヨハネがエホバの道を備える預言者となることについてはっきり語ります。―1:7,35,46,47

12 イエスの誕生と子供時代についてどんなことが述べられていますか。

12 やがてイエスがベツレヘムで生まれ,ひとりのみ使いが,この「大きな喜びとなる良いたよりを」,夜間に自分の群れの番をしていた羊飼いたちに発表します。律法にしたがって割礼が施されます。次いで両親が神殿でイエスを『エホバに差し出し』た時,老齢のシメオンと女預言者アンナがその子供について語ります。その後,ナザレに戻ったイエスは,「成長して強くなってゆき,知恵に満たされ,神の恵みが引き続きその上に」あります。(2:10,22,40)12歳の時,ナザレからエルサレムを訪ねたイエスは,その理解力と答えとによって教師たちを驚かせます。

13 ヨハネは何を宣べ伝えますか。イエスのバプテスマの時,またそのすぐ後にどんな事が起きますか。

13 宣教のための準備3:1-4:13)。ティベリウス・カエサルの治世の第15年,神の宣言がゼカリヤの子ヨハネに臨み,ヨハネは「罪の許しのための悔い改めの象徴としてのバプテスマを宣べ伝え」てゆきます。それは,すべての肉なる者が「神の救いの手だてを見る」ためです。(3:3,6)民が皆ヨルダン川でバプテスマを受けていた時,イエスもやはりバプテスマを受けます。そして彼が祈っていると,聖霊が彼の上に下り,彼の父は天からご自分の是認を表明されます。イエス・キリストは今や約30歳になられます。(ルカはここでイエスの系図を掲げています。)そのバプテスマの後,40日のあいだ霊が荒野においてイエスをあちらこちらと導き,その場所で悪魔は彼を誘惑しますが,成功しません。そのため,悪魔は「別の都合の良い時まで」身を引きます。―4:13

14 イエスは自分の使命をどこで明らかにされますか。その使命とは何ですか。それを聞いていた人々はどのように応じますか。

14 おもにガリラヤで行なわれたイエスの初期の宣教4:14-9:62)。イエスはご自分の育った町ナザレの会堂でイザヤ 61章1節と2節の預言を読み,それを次のようにご自身に当てはめて,ご自分の使命を明らかにされます。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明させるためわたしに油をそそぎ,捕らわれ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ,エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために,わたしを遣わしてくださったからである」。(4:18,19)人々は,初めはイエスの言葉を喜んでいますが,彼が話を続けてゆくにつれ,やがて怒り立つようになり,彼を除き去ろうとします。イエスはカペルナウムに下り,そこで多くの人をいやされます。群衆が彼のあとに従って来て,彼を自分たちのところに引き留めておこうとします。しかしイエスは彼らに,「わたしはほかの都市にも神の王国の良いたよりを宣明しなければなりません。わたしはそのために遣わされたからです」とお告げになります。(4:43)彼はユダヤの諸会堂で宣べ伝えます。

15 ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,それにマタイが召された次第を述べなさい。

15 ガリラヤにおいて,イエスは,(ペテロとも呼ばれた)シモンとヤコブとヨハネに奇跡的な仕方で魚を取れるようにさせます。そして,シモンに,「今から後,あなたは人を生きながら捕るのです」と告げます。それで彼らはすべてのものを捨ててイエスのあとに従います。イエスは祈りと教える業とを続けます。そして,「彼がいやしを行なうようにエホバの力がそこに」あります。(5:10,17)彼はさげすまれた収税人レビ(マタイ)を召し,マタイは盛大な宴席を設けてイエスに敬意を表します。そこには「非常に大勢の収税人」も共に出席します。(5:29)これをきっかけとしてイエスはパリサイ人たちとたびたび相対するようになり,怒りに燃えた彼らは共謀してイエスに危害を加えようとします。

16 (イ)イエスは何をした後に12使徒をお選びになりますか。(ロ)山上の垂訓に関する並行記述の中でルカはどんな点を特に目立たせていますか。

16 神に夜通し祈った後,イエスは弟子たちの中から12使徒を選びます。さらにいやしの業がなされます。次いでイエスは,ルカ 6章20節から49節に記録される話をなさいます。それは短くまとめられてはいますが,マタイ 5章から7章にある山上の垂訓と並行する記述です。イエスは二つのことを対照的に述べます。「あなた方,貧しい人たちは幸いです。神の王国はあなた方のものだからです。しかし,あなた方,富んだ人たちは災いです! あなた方は自分の慰めをすべて得ているからです」。(6:20,24)そして,自分の敵を愛し,憐れみ深くし,与えることを習慣にし,また心の良い宝の倉から良いものを取り出すよう,聞く人々に諭されます。

17 (イ)その後イエスはどんな奇跡を行なわれますか。(ロ)イエスはご自分がメシアであるかどうかに関して,バプテスマを施す人ヨハネの使者にどのようにお答えになりますか。

17 カペルナウムに戻ったイエスは,ひとりの士官から,病気の奴隷をいやしてくださるようにとの依頼を受けます。その士官は,自分の屋根の下にイエスに入っていただくには自分は値しないと感じ,そのおられるところからただ『そのお言葉を下さい』とイエスに頼みます。それによって奴隷はいやされます。イエスは感嘆してこう述べます。「あなた方に言いますが,イスラエルにおいてさえ,わたしはこれほどの信仰を見たことがありません」。(7:7,9)その後,イエスは初めて死人をよみがえらせます。ナインのやもめの一人息子であり,イエスはそのやもめを『哀れに思われた』のです。(7:13)イエスに関するたよりがユダヤじゅうに広まると,バプテスマを施す人ヨハネは彼のもとに獄から使いを送り,「あなたが来たるべき方なのですか」と尋ねさせます。それに答えてイエスは使者に言われます,「行って,あなた方が見聞きしたことをヨハネに報告しなさい。盲人は見えるようになり,足なえの人は歩き,らい病の人は清められ,耳の聞こえなかった人は聞き,死人はよみがえらされ,貧しい人々には良いたよりが告げられています。それで,わたしにつまずかなかった人は幸いです」。―7:19,22,23

18 王国を宣べ伝える活動が続けられると共に,どんな例えが話され,どんな業が行なわれ,どんな助言の言葉が与えられますか。

18 イエスは12使徒を伴いつつ,「都市から都市,村から村へと旅をされ,神の王国の良いたよりを宣べ伝えまた宣明」されます。彼は種まき人の例えを話し,その話のしめくくりとしてこう語ります。「ですからあなた方は,どのように聴くかに注意を払いなさい。だれでも持っている者,その者にはさらに与えられますが,持っていない者,その者からは,持っていると思うものまで取り去られるのです」。(8:1,18)イエスは驚嘆すべき業と奇跡とを行ないつづけます。また,12使徒に,悪霊を制する権威や病気を治す力を与え,「神の王国を宣べ伝え,また病気をいやさせるために」彼らを遣わします。5,000人の人が奇跡によって食物を与えられます。イエスは山の上で変ぼうし,その翌日には,弟子たちが治すことのできなかった,悪霊につかれた少年をいやします。そして,イエスに従おうとする人々に訓戒のことばをお与えになります。「きつねには穴があり,天の鳥にはねぐらがあります。しかし人の子には頭を横たえる所がありません」。神の王国にふさわしい者となるには,人は手をすきにかけて後ろを振り向いてはなりません。―9:2,58

19 イエスは隣人に対する真の愛についてどのような例えを話されますか。

19 イエスのユダヤにおける後期の宣教10:1-13:21)。イエスは「収穫」のためにさらに70人を遣わし,遣わされた人々はその宣教の成功を見て喜びに満たされます。イエスが伝道していると,ひとりの人が自分の義を示そうとして,「わたしの隣人とはいったいだれでしょうか」とイエスに尋ねます。それに答えて,イエスは親切なサマリア人の例えを話されます。ある人が強盗たちに襲われ,半殺しの状態で道の傍らに横たわっていますが,そこを通る祭司とレビ人はそれを無視します。ところが,立ち止まって優しく彼の傷の手当てをし,彼を自分の畜獣に乗せて宿屋に連れて行き,その看病の費用を払うのはさげすまれたサマリア人です。そうです,隣人となったのは,「その人に対して憐れみ深く行動した者」です。―10:2,29,37

20 (イ)イエスはマルタとマリアに対してどんな点を明らかにされますか。(ロ)祈りについてはどんなことを強調しますか。

20 マルタの家で,イエスは,家事のことで過度に思い煩っていたマルタを穏やかに叱責し,座ってイエスの言葉を聴き,良いほうを選んだマリアをほめます。イエスは弟子たちに模範的な祈りを教え,また,たゆまず祈りつづけることの必要性を強調して,「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。探しつづけなさい。そうすれば見いだせます」と教えます。後にイエスは悪霊たちを追い出し,「神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸い」であると言明されます。また,食事をしているさいに,律法をめぐってパリサイ人と意見の衝突が生じ,「知識のかぎ」を取り去ったことのゆえに彼らに災いを宣告します。―11:9,28,52

21 イエスは貪欲を戒める,どんな警告を与えますか。また,何をするよう弟子たちを促されますか。

21 イエスが再び群衆と共にいた時,ある人が,「わたしの兄弟に,相続財産をわたしと分けるように言ってください」とイエスに言います。イエスは次のように答えて問題の核心を突かれます。「じっと見張っていて,あらゆる強欲に警戒しなさい。満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じないからです」。それからイエスは,より大きな倉を建てるために自分の倉を壊したのに,結局その夜のうちに死んで,自分の富を他の人に残したある富裕な人の例えを話されます。イエスはその要点を簡潔に述べます,「自分のために宝をためても,神に対して富んでいない者はこうなるのです」。そして,神の王国を第一に求めるよう弟子たちを促した後,イエスは,「恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,あなた方に王国を与えることをよしとされたからです」と語られます。イエスは18年間病んでいたひとりの女を安息日にいやしたために,敵対者たちとさらに衝突する結果になりますが,結局彼らは恥を被ります。―12:13,15,21,32

22 イエスはどんな適切な例えで王国について教え諭されますか。

22 おもにペレアで行なわれた,イエスの後期の宣教13:22-19:27)。イエスは,聞き手に神の王国をはっきり指摘するため生き生きとした多彩な例えを用います。目立った地位や誉れを求める者は辱めを受けます。宴会を設ける人は,お返しのできないような貧しい人たちを招きなさい。その人は幸いを受け,「義人の復活の際に報いを受け」ます。次に,盛大な晩さんを設ける人の例えが話されます。招かれていた人たちは次々に言い訳をして断わります。ある人は畑を買いました。別の人は何頭かの牛を購入しました。さらに別の人は妻を迎えたばかりです。怒った家の主人は使いをやって,「貧しい人,体の不自由な人,盲人,足なえの人など」を連れて来させ,最初に招いておいた者たちはだれもその晩さんを『味わう』ことさえないであろう,と言明します。(14:14,21,24)さらにイエスは,失われた羊を見いだすことに関する例えを話してこう語ります。「あなた方に言いますが,このように,悔い改める一人の罪人については,悔い改めの必要のない九十九人の義人について以上の喜びが天にあるのです」。15:7)自分の家の中を掃いて,失ったドラクマ硬貨一つを取り戻す女に関する例えも同様の点を示します。 *

23 放とう息子に関する例えの中でどんなことが示されていますか。

23 次いでイエスは放とう息子に関する例えを話されます。彼は財産のうちの自分の分を父に請い,「放とうの生活をして」それを使い果たしました。全くの困窮状態に陥ったその息子は本心に立ち返り,家に帰って父親の憐れみにすがりました。父親は哀れに思い,「走って行ってその首を抱き,優しく口づけ」しました。上等の着物が与えられ,大きな宴会が設けられ,人々は「興じ始め」ました。しかし,兄はそれに異議を唱えました。父は優しい態度で彼の考えを正します。「子よ,あなたはいつもわたしと一緒にいたし,わたしの物はみなあなたのものだ。だが,わたしたちはとにかく楽しんで歓ばないわけにはいかなかったのだ。このあなたの兄弟は,死んでいたのに生き返り,失われていたのに見つかったからだ」。―15:13,20,24,31,32

24 富んだ人とラザロ,それにパリサイ人と収税人に関する例えの中で,イエスはどんな真理を強調しておられますか。

24 不義の家令に関する例えを聞いた時,金を愛するパリサイ人たちはイエスの教えを冷笑します。しかしイエスは彼らに告げます,「あなた方は人の前で自分を義とする者たちですが,神はあなた方の心を知っておられます。人の間で高大なものは,神から見て嫌悪すべきものだからです」。(16:15)さらにイエスは,富んだ人とラザロに関する例えによって,神の是認を受けている者と受けていない者との間に定め置かれた裂け目がいかに大きなものであるかを示されます。イエスは,つまずきの原因となるものがあることを弟子たちに警告しますが,「それが来るその経路となる人は災いです!」 またイエスは,「人の子が表わし示されようとしている」時に到来する苦難について語ります。そして,「ロトの妻のことを思い出しなさい」と弟子たちに告げます。(17:1,30,32)さらにイエスは,「日夜ご自分に向かって叫ぶ」者たちのために神が必ず行動してくださることを例えによって保証されます。(18:7)次いでイエスは,別の例えを用いて,自ら義にかなっているとする人々を戒めます。つまり,ひとりのパリサイ人は神殿で祈りをし,自分が他の人々のようではないと言って神に感謝します。一方,ひとりの収税人は,遠く離れた所に立ち,目を天の方に上げようともしないで,「神よ,罪人のわたしに慈悲をお示しください」と祈ります。イエスはこのことをどのように評価されますか。イエスは,その収税人のほうがパリサイ人よりずっと義にかなっていると言明します。「自分を高める者はみな辱められますが,自分を低くする者は高められる」からです。(18:13,14)イエスはエリコにおいて収税人ザアカイのもてなしを受け,そこで十ミナに関するたとえ話をされます。それは,ゆだねられたものを忠実に活用することの結果と,それを隠して使わないでいることの結果を対照させたものでした。

25 イエスはどのようにして自分の宣教の最終段階に入りますか。そして,どんな預言的な警告をお与えになりますか。

25 エルサレム内およびその周辺での最後の公の宣教19:28-23:25)。イエスが子ろばに乗ってエルサレムに入城し,大勢の弟子たちが『エホバのみ名によって王として来る者』と呼んで彼を迎えると,パリサイ人たちは弟子たちを叱るようイエスに求めます。それに対してイエスは答えます,「もしこれらの者が黙っているなら,石が叫ぶでしょう」。(19:38,40)イエスはエルサレムの滅びに関する注目すべき預言を述べ,エルサレムが先のとがった杭で囲まれて,攻めたてられ,その子らと共に地面にたたきつけられて,一つの石も他の石の上に残したままにはされなくなるであろう,と語ります。イエスは神殿で民を教え,良いたよりを宣明するとともに,巧みな例えと論証によって,祭司長・書士・サドカイ人などのこうかつな質問に答えます。また,終わりの大いなるしるしについて力強く描写し,エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれることについて再び語られます。人々は起きようとする事柄への恐れのために気を失いますが,そうした事が起きる時,イエスに従う人々は「身をまっすぐに起こし,頭を上げ」るべきです。その「救出が近づいているから」です。そして,起きることが定まっている事柄から首尾よく逃れられるようずっと目ざめていなければなりません。―21:28

26 (イ)イエスはどんな契約を紹介しますか。そして,それと何とを結びつけますか。(ロ)試みのもとでイエスはどのように強められますか。そして,自分が捕縛される際どんなことを叱責しますか。

26 さて,西暦33年ニサン14日になりました。イエスは過ぎ越しを執り行ない,次いで,忠実な使徒たちに対して「新しい契約」を紹介し,その契約と象徴的な食事とを結びつけ,イエスの記念としてそれを守り行なうように命じます。さらに,使徒たちに対してこう告げます。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなた方と王国のための契約を結び(ます)」。(22:20,29)その同じ夜,イエスがオリーブ山で祈りをしていると,「ひとりのみ使いが天から現われて彼を強め」ますが,『彼はもだえはじめ,いよいよ切に祈り,汗が血の滴りのようになって地面に落ち』ます。裏切り者ユダがイエスを捕縛しようとする暴徒の先導となって現われ,その場の雰囲気は緊張します。弟子たちは,「主よ,剣で撃ちましょうか」と叫びます。そのひとりは大祭司の奴隷の耳を実際に切り落としますが,イエスは彼らを叱責し,傷ついた男をいやします。―22:43,44,49

27 (イ)ペテロはどの点で失敗しますか。(ロ)イエスはどんな罪で告発されますか。どのような状況のもとでイエスは裁かれ,刑の宣告を受けますか。

27 イエスは審問のために大祭司の家に引き立てられます。ペテロのほうは,夜の寒さのために,群衆にまじって火にあたっています。ペテロは3度,イエスの追随者だったとして告発されますが,3度ともこれを否定します。その時おんどりが鳴きます。主は振り返ってペテロを見,ペテロはイエスがまさにそのことを予告していたのを思い出し,外に出て激しく泣きます。サンヘドリンの広間に引き出された後,イエスは次にピラトの前に導かれ,国民をかく乱し,税を払うことを禁じ,「自分は王キリストだと言っている」として訴えられます。イエスがガリラヤ人であることを知ったピラトは,その時たまたまエルサレムに来ていたヘロデのもとに彼を送ります。ヘロデとその衛兵たちはイエスを嘲弄してから,狂乱した暴徒の前で行なわれる裁判のためにイエスを送り返します。ピラトは『イエスを彼らの意向にゆだね』ます。―23:2,25

28 (イ)イエスはご自分に対する信仰を示す盗人にどんな約束をなさいますか。(ロ)イエスの死,埋葬,および復活について,ルカはどんなことを記録していますか。

28 イエスの死,復活,ならびに昇天23:26-24:53)。イエスはふたりの悪行者にはさまれて杭につけられます。そのひとりはイエスをなじりますが,他方の者は信仰を示し,イエスの王国において自分を思い出してくださるようにと請います。それに対してイエスは約束します,「今日あなたに真実に言いますが,あなたはわたしと共にパラダイスにいるでしょう」。(23:43)その後,異常な闇が垂れこめ,聖所の幕が真ん中で上から下に引き裂け,イエスは,「父よ,わたしの霊をみ手に託します」と叫びます。こうしてイエスは息を引き取ります。その体は下ろされ,岩に掘り込んだ墓の中に横たえられます。週の最初の日,イエスに伴ってガリラヤから来ていた女たちは墓に行きますが,イエスの体を見いだせません。イエスは自ら予告していたとおり,三日目にまさしくよみがえらされたのです!―23:46

29 ルカの福音書はどんな喜ばしい記述で結ばれていますか。

29 エマオに向かう道で,それと知られぬままふたりの弟子に現われたイエスは,ご自分の受けた苦難について語り,聖書の意味を説き明かされます。にわかに彼らはそれがだれであるかを知り,イエスのほうはそこから姿を消します。今ふたりはこう語ります。「あの方が道でわたしたちに話してくださった時,わたしたちのために聖書をすっかり解いてくださった時,わたしたちの心は燃えていなかっただろうか」。ふたりは急いでエルサレムに帰り,他の弟子たちにそのことを伝えます。彼らがまさにこうした事について話していた時に,イエスが彼らのただ中に現われます。全くの喜びと驚きとのために彼らはそれを信じることができません。そこでイエスは「彼らの思いを十分に開いて」,起きたすべての事柄の意味を聖書から理解させます。ルカは自分の福音書をイエスの昇天に関する記述で結んでいます。―24:32,45

なぜ有益か

30,31 (イ)ルカの書はヘブライ語聖書が神の霊感を受けて記されたものであるという確信をどのように人に抱かせますか。(ロ)その点を裏付けるために,ルカはイエスのどんな言葉を引用していますか。

30 「ルカによる」良いたよりは,神の言葉に対する確信を人に抱かせ,信仰を強めるので,人は異質の世界からの攻撃に立ち向かうことができます。ルカはヘブライ語聖書の正確な成就の例を数多く挙げています。イエスはご自分の使命をイザヤ書の明確なことばから引き出したことが示されており,ルカはそれをその書の一つのテーマとしているように思われます。(ルカ 4:17-19。イザヤ 61:1,2)これはイエスが「預言者たち」から引用された一例です。イエスはまた,悪魔の三つの誘惑を退けた時のように,律法からも引用されました。また,敵対者たちに,「人々が,キリストはダビデの子だというのはどうしてですか」と尋ねた場合のように,詩編からも引用しました。ルカの記述はヘブライ語聖書からの引用をほかにも数多く含んでいます。―ルカ 4:4,8,12; 20:41-44。申命記 8:3; 6:13,16。詩編 110:1

31 イエスがゼカリヤ 9章9節の予告どおり子ろばに乗ってエルサレムに入城した時,大勢の人々は歓呼して彼を迎え,詩編 118編26節の聖句を彼に適用しました。(ルカ 19:35-38)あるところでは,ルカによる書のわずか二つの節が,イエスの辱めのもとでの死と復活に関するヘブライ語聖書の預言の六つの点を含んでいます。(ルカ 18:32,33。詩編 22:7。イザヤ 50:6; 53:5-7。ヨナ 1:17)最後に,その復活後,イエスはヘブライ語聖書全体の重要さを弟子たちに深く悟らせました。「それから彼らにこう言われた。『まだあなた方と共にいた時に,わたしが話した言葉はこうでした。つまり,モーセの律法の中,そして預言者たちと詩編の中にわたしについて書いてあることはみな必ず成就するということです』。そして,聖書の意味をつかむよう彼らの思いを十分に開(かれた)」。(ルカ 24:44,45)これらイエス・キリストの最初の弟子たちと同じように,わたしたちも,ルカおよびクリスチャン・ギリシャ語聖書の他の筆者たちが極めて正確に説明する,ヘブライ語聖書の預言の成就に注意を払うことによって,啓発と強固な信仰とを得ることができます。

32 ルカの記述は神の王国をどのように強力に打ち出していますか。その王国に対するわたしたちの態度はどんなものであるべきですか。

32 ルカはその記述全体を通して,読者の注意を終始神の王国に向けています。み使いがマリアに対して,その産む子供は『王としてヤコブの家を永久に支配する。彼の王国に終わりはない』と約束したその書の始めの部分から,イエスが使徒たちを王国のための契約に入れることについて語った終わりのほうの章にいたるまで,ルカは王国の希望を目立たせています。(1:33; 22:28,29)ルカは,イエスが王国を宣べ伝える業において率先し,またその同じ業を行なわせるために12使徒を遣わし,後に70人を派遣されたことを示しています。(4:43; 9:1,2; 10:1,8,9)「死人に自分たちの死人を葬らせ,あなたは行って神の王国を広く宣明しなさい」,また,「手をすきにかけてから後ろのものを見る人は神の王国に十分ふさわしい者ではありません」というイエスの鋭い言葉によって,王国に入るためには思いを一つに集中した専心の必要なことが強調されました。―9:60,62

33 ルカが祈りを強調していることについてその例を挙げなさい。そのことからどんな教訓を学び取ることができますか。

33 ルカは祈りに関することを強調しています。彼の福音書はこの点で際立っています。それは,ゼカリヤが神殿の中にいたあいだ大勢の人々が祈りをしていたこと,子供を求める祈りに対する答えとして,バプテスマを施す人ヨハネが生まれたこと,そして女預言者アンナが夜昼祈りをささげていたことについて述べています。また,イエスがバプテスマのさいに祈っておられたこと,12使徒を選ぶに先立って夜通し祈りをささげたこと,そして変ぼうの時にも祈っておられたことについて述べています。イエスは弟子たちに「常に祈り,かつあきらめてはならない」ことを諭し,公正な裁きが受けられるまで裁き人のもとにしきりに願い出た辛抱強いやもめの例えでそのことを示されました。祈りの仕方を教えてくださいという,イエスに対する弟子たちの願い,またオリーブ山で祈っていたイエスをみ使いが強めたことについて記しているのはルカだけであり,またルカだけが,「父よ,わたしの霊をみ手に託します」というイエスの最後の祈りの言葉を記録しています。(1:10,13; 2:37; 3:21; 6:12; 9:28,29; 18:1-8; 11:1; 22:39-46; 23:46)ルカがその福音書を記録した時代と同じく,今日でも,祈りは,神のご意志を行なうすべての人々を強める重要な備えです。

34 ルカはイエスのどんな特質をクリスチャンに対する優れた先例として特に強調していますか。

34 ルカは鋭い観察力と叙述的で流麗な文体で,イエスの教えを温かさと活力のあるものにしています。虐げられ,踏みつけられた弱い人々に対するイエスの愛と親切さと憐れみと同情心が,書士やパリサイ人の形式的で冷ややかで,狭量で偽善的な宗教と著しい対照をなすものとしてはっきり示されています。(4:18; 18:9)イエスは,貧しい人,捕らわれの身にある人,盲目の人,打ちひしがれた人などに対して不断の励みと助けを差し伸べており,こうして,「その歩みにしっかり」従おうとする人々に優れた手本を残しておられます。―ペテロ第一 2:21

35 ルカの福音書を備えてくださったことに対してエホバに深く感謝できるのはなぜですか。

35 完全な人であり,奇跡を行なう神の子であったイエスが,ご自分の弟子や正直な心を抱く人すべてに愛ある配慮を示されたように,わたしたちもまた,愛をもって,そうです,「わたしたちの神の優しい同情」のゆえに,わたしたちの宣教を遂行するよう努力すべきです。(ルカ 1:78)「ルカによる」良いたよりはそのために極めて有益であり,ほんとうに助けになります。『愛される医者』ルカに霊感を与えて,この正確で,人を築き上げ,また励みを与える記述を書かせ,「神の救いの手だて」であられるイエス・キリストの王国による救いを指し示してくださったことに対して,わたしたちはエホバ神に本当に感謝できます。―コロサイ 4:14。ルカ 3:6

[脚注]

^ 3節 「ルカの医学用語」(英文),1954年,W・K・ホバート,11-28ページ。

^ 7節 「法律家の見た聖書」(英文),1943年,I・H・リントン,38ページ。

^ 8節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,766,767ページ。

^ 8節 「現代の発見と聖書」(英文),1955年,A・レンドル・ショート,211ページ。

^ 9節 「ユダヤ戦記」,V,491-515,523(xii,1-4); VI,420(ix,3)。「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,751,752ページもご覧ください。

^ 22節 ドラクマは重さ3.4㌘ほどのギリシャの銀貨でした。

[研究用の質問]