聖書の44番目の書 ― 使徒たちの活動
聖書の44番目の書 ― 使徒たちの活動
筆者: ルカ
書かれた場所: ローマ
書き終えられた年代: 西暦61年ごろ
扱われている期間: 西暦33年-61年ごろ
1,2 (イ)「使徒たちの活動」の中ではどんな歴史的出来事および活動が描写されていますか。(ロ)この書はどんな時期の事柄を扱っていますか。
霊感を受けた聖書の42番目の書の中で,ルカは,イエスとその追随者たちの生活,活動,および宣教を扱い,イエスの昇天の時までの記述をまとめました。歴史的な記録である,聖書の44番目の書,「使徒たちの活動」には,聖霊の働きの結果として会衆が設立されたいきさつが記されて,初期キリスト教の歴史が引き続き述べられています。この書にはまた,証しの業の拡大の模様も描写されています。その証しは初めはユダヤ人の間で,次いであらゆる国の人々に対して行なわれるようになりました。初めの12章の内容の大半はペテロの活動を扱ったものであり,残りの16章ではパウロの活動が扱われています。ルカはパウロの旅行の多くに同行し,パウロとの親密な交わりを持っていました。
2 この書はテオフィロにあてて記されています。その人物は「きわめて優れたテオフィロ様」として言及されていますから,何らかの公職に就いていたものと思われます。あるいは,この表現は単に深い敬意を表わすものかもしれません。(ルカ 1:3)この記述は,クリスチャン会衆の確立およびその成長に関する正確な歴史の記録となっています。それは,イエスが復活後に弟子たちに現われたことから始め,その後,西暦33年から61年ごろまで,およそ28年間にわたる重要な出来事を記録しています。
3 「使徒たちの活動」の書を書いたのはだれですか。それはいつ書き上げられましたか。
3 昔から,「ルカの福音書」の筆者が「使徒たちの活動」
をも記したとみなされてきました。どちらの書もテオフィロにあてて書かれています。ルカは自分の福音書の結びの出来事を「使徒たちの活動」の冒頭の部分で再度取り上げ,同一の著者の作として,それら二つの記述を結びつけています。ルカは,西暦61年ごろ,使徒パウロと共にローマに滞在した2年間の終わり近くに,この書を書き終えたものと思われます。その年までの出来事を記録していますから,それ以前に書き終えられたとは考えられません。また,カエサルに対するパウロの上訴が未決のままで終わっていることは,その書がその年までに書き終えられたことを示しています。4 「使徒たちの活動」の書が聖書の正典であり,信ぴょう性のあるものであることを何が証明していますか。
4 ごく初期の時代から,「使徒たちの活動」は正典として聖書学者たちに受け入れられてきました。この書の一部は,現存する最古のギリシャ語聖書パピルス写本のあるもの,とりわけ西暦3,ないし4世紀のミシガン写本1571(P38)や3世紀のチェスター・ビーティー写本1(P45)の中に見いだされます。これらの写本はいずれも,「使徒たちの活動」が霊感による聖書の他の書と共に流布していたこと,したがって早い時代から聖書の目録の中に入れられていたことを示しています。「使徒たちの活動」に見られるルカの記述法には,彼の福音書について既に述べたと同じ,驚くほどの正確さが反映されています。ウィリアム・M・ラムジ卿は,「使徒たちの活動」の筆者を「第一級の歴史家」と評価し,その意味を次のように説明しています。「偉大な歴史家としての第一の,そして基本的な資格は,真実さである。その述べる事柄は信頼できるものでなければならない」。 *
5 ルカの記述が正確なものであることを例を挙げて説明しなさい。
5 ルカの記述の大きな特色をなしている正確さを例示するものとして,第一次世界大戦当時,地中海域の英国艦隊司令官であったエドウィン・スミスのことばをここに引用します。彼はザ・ラダー誌(英文),1947年3月号の中でこう書いています。「古代の船舶は,現代の船舶のように船尾材に取り付けられた,ただ1本の舵によって操縦されたのではなく,船尾の両側に1本ずつ取り付けられた2本の大きな櫓,もしくはかいによって操縦された。聖ルカがそれを複数で言及しているのはそのためである。[使徒 27:40]……我々の調査の結果として知った点であるが,“良い港”を出てからマルタの浜辺に着くまでのこの船の動きに関するルカの陳述は,極めて正確で納得のゆく独立した外面的証拠によってその真実さがことごとく確証された。船が海上にあった時間に関するルカの記述は進んだ距離と合致している。そして,到着した場所に関するルカの描写は実際の場所と一致している。このすべては,ルカが描写されている通りの航海を実際に行なったこと,その上,ルカが,自分のことを観察や陳述の点で最高度の信頼や信用にこたえうる者として示していることを物語っている」。 *
6 考古学上の発見物が「使徒たちの活動」の書の正確さを確証していることを示すどんな例がありますか。
6 考古学上の発見物もルカの記述の正確さを裏付けています。例えば,エフェソスで発掘調査が行なわれ,アルテミスの神殿をはじめ,エフェソス人が使徒パウロに対して暴徒行為を起こした古代の劇場が発掘されました。(使徒 19:27-41)ルカが「市の支配者」という名称をテサロニケの役人に当てはめて使ったことの正しさを確証する碑文も発見されました。(17:6,8)マルタ語の二つの碑文は,ポプリオをマルタ島の「主立った人」と呼んでいる点でルカが正しかったことを示しています。―28:7。 *
7 記録されている数々の談話は「使徒たちの活動」の書の記録が事実に基づいていることをどのように示していますか。
7 さらに,ペテロ,ステファノ,コルネリオ,テルトロ,パウロ,その他の人々のさまざまな談話がルカによって記録されており,そのすべては話のスタイルや構成においてそれぞれ異なっています。同じパウロの談話でさえそれぞれ異なった聴き手を対象としたものであり,その場に応じて話のスタイルも変わっています。このことは,ルカが,自分の耳で聞いた事柄,あるいは他の目撃証人の報告した事柄にのみ基づいてその記録を進めたことを示しています。ルカは想像によって書いたのではありません。
8 聖書はルカ自身,およびパウロとルカとの交際について何を示していますか。
8 ルカ自身の生涯についてはごくわずかのことしか知られていません。ルカ自身は使徒ではありませんでしたが,使徒であった人々と交際がありました。(ルカ 1:1-4)使徒パウロは3箇所で名指しでルカに言及しています。(コロサイ 4:10,14。テモテ第二 4:11。フィレモン 24)幾年かの間,ルカは終始パウロの友となり,パウロは彼のことを「愛する医者」と呼びました。記述中には,『彼ら』から『わたしたち』へ,またその逆の転換が幾度かありますが,これはルカがパウロの2回目の宣教旅行のさいにトロアスでパウロと一緒にいたこと,また何年か後にパウロが戻って来るまでフィリピにとどまっていたのかもしれないこと,そしてその後再びパウロと共になり,裁判を受けるためにローマへ向かって旅をするパウロに同伴したことを示唆しています。―使徒 16:8,10; 17:1; 20:4-6; 28:16。
「使徒たちの活動」の内容
9 イエスの昇天のさい弟子たちはどんなことを告げられますか。
9 ペンテコステまでの出来事(1:1-26)。ルカがこの2番目の記述を始めるのは,復活したイエスが,熱心な弟子たちに対し,その弟子たちが聖霊をもってバプテスマを受けることについて述べるところからです。王国はこの時に回復されるのですか。そうではありません。むしろ,弟子たちは,力を受け,「地の最も遠い所にまで」証人となるのです。イエスが挙げられて彼らの目から見えなくなった時,白い衣を着た二人の人が彼らに語ります,「あなた方のもとから空へ迎え上げ られたこのイエスは,こうして……同じ様で来られるでしょう」。―1:8,11。
10 (イ)ペンテコステの日にどんな忘れ難い事が起きますか。(ロ)ペテロはそれについてどのように説明しますか。その結果,どうなりましたか。
10 忘れ難いペンテコステの日(2:1-42)。弟子たちは皆エルサレムに集まっています。突然,突風のような物音がその家を満たします。火でできたような舌がそこにいた者たちの上にとどまります。彼らは聖霊に満たされ,「神の壮大な事柄」についてさまざまな言語で話しはじめます。(2:11)それを見守る人々はとまどいます。その時ペテロが立ち上がって話します。こうして霊が注ぎ出されたのはヨエルの預言(2:28-32)の成就であり,今や復活して神の右に高められたイエス・キリストが『彼らの見聞きするものを注ぎ出された』のであると説明します。心を刺された約3,000人の人々がみ言葉を受け入れてバプテスマを受けます。―2:33。
11 エホバは伝道の業をどのように栄えさせますか。
11 証しの業の拡大(2:43-5:42)。エホバは救われてゆく者たちを日ごとに彼らに加えてゆかれます。神殿の外でペテロとヨハネは,生まれてこのかた一度も自分の足で歩いたことのないひとりの不具の人に会います。「ナザレ人イエス・キリストの名において,歩きなさい!」とペテロは命じます。たちどころにその人は『歩き』はじめ,「躍ったり,神を賛美したり」しはじめます。その後ペテロは,悔い改めて身を転じるよう人々に,訴えます。それは,「さわやかにする時期がエホバのみもとから到来」するようにするためです。ペテロとヨハネがイエスの復活について教えていることでいらだった宗教指導者たちは二人を捕縛しますが,信じる人々の隊伍はふくれ,男の数が5,000人にも達します。―3:6,8,19。
12 (イ)伝道をやめるように命令された時,弟子たちはどう答えますか。(ロ)どんなことのためにアナニアとサッピラは処罰されますか。
12 次の日,ペテロとヨハネは尋問を受けるためにユダヤ人の支配者たちの前に連れて行かれます。そして,ペテロは救いがただイエス・キリストを通してのみ得られることをおくせずに証言します。そして,宣べ伝える業をやめるようにと命令された時ペテロとヨハネの二人はこう答えます。「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」。(4:19,20)彼らは釈放され,弟子たちはみな神の言葉を大胆に語りつづけます。当時の事情のために,彼らは自分たちの物質上の所有物を出し合い,必要に応じてそれを分配します。しかしながら,アナニアという人とその妻サッピラは多少の資産を売り,その代価を全部出したようなふりをして,その一部をそっと隠しておきます。ペテロはこれをあばき,ふたりはその場で倒れて死にます。神と聖霊を欺いたためです。
13 使徒たちはどんなことをとがめられますか。それに対して彼らはどのように答えますか。彼らは何を行ない続けますか。
13 いきり立った宗教指導者たちは使徒たちを再び牢獄に入れますが,今度はエホバのみ使いが彼らを解き放します。次の日,彼らは再度サンヘドリンの前に引き出され,『エルサレムを彼らの教えで満たした』としてとがめられます。これに対して彼らは答えます,「わたしたちは,自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」。むち打たれ,脅しを受けても,彼らはやめません。そして,「毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明し続け」ます。―5:28,29,42。
14 ステファノの殉教の次第を述べなさい。
14 ステファノの殉教(6:1-8:1前)。ステファノは,聖霊によって食卓への食物分配の仕事を任ぜられた七人のうちの一人です。彼はまた真理について強力な証しをし,その熱心な信仰弁護の結果,怒り立った反対者たちは冒とくのかどで彼をサンヘドリンに引き出します。自分の弁明をしたステファノは,イスラエルに対するエホバの辛抱強さについてまず述べます。次いで,恐れを知らない雄弁なことばで要点を突きます。『かたくなな人たち,あなた方はいつも聖霊に抵抗しています。み使いたちによって伝えられたものである律法を受けながら,それを守らなかったあなた方』。(7:51-53)これは彼らにとってもはや耐え難いことでした。彼らはステファノに向かって突進し,彼を市の外に追い出し,石打ちにして殺します。サウロはこれをよしとします。
15 迫害の結果はどのようになりますか。フィリポはどんな伝道の経験をしますか。
15 迫害とサウロの転向(8:1後-9:30)。エルサレムにあった会衆に対してその日に始まった迫害のため,使徒たちのほかは皆,国じゅうに散らされます。フィリポはサマリアに行き,そこで大勢の者が神の言葉を受け入れます。ペテロとヨハネがエルサレムからそこに遣わされます。「使徒たちが手を置くことによって」,それら新しい信者が聖霊を受けるためです。(8:18)その後,み使いはフィリポを南の方に導いて,エルサレムからガザに通ずる道に行かせます。そこで彼は,エチオピアの王宮に仕えるひとりの宦官が自分の兵車に乗り,イザヤの書を読んでいるのを見ます。フィリポは預言の意味について彼に啓発を与え,バプテスマを施します。
16 サウロの転向はどのようにして起きますか。
16 一方,サウロは「主の弟子たちに対する脅しと殺害の息をなおもはずませながら」,ダマスカスにおいて「この道に属する」者たちを捕縛するために出かけます。突然に天からの光が彼の周りにぱっと光り,彼は盲目になって地に倒れます。天からの声が彼に語ります,「わたしはイエス,あなたが迫害している者です」。ダマスカスで三日過ごした後,アナニアという弟子が彼に奉仕します。サウロは視力を取り戻し,バプテスマを受けて聖霊に満たされ,こうして良いたよりの熱心で有能な伝道者となります。(9:1,2,5)この驚くべき事態の転換によって,かつての迫害者は,自ら迫害を受ける者となり,初めにダマスカスから,次いでエルサレムからさえ身の安全のために逃げなければなりません。
17 良いたよりは無割礼の異邦人にどのように伝えられますか。
17 良いたよりは無割礼の異邦人に伝えられる(9:31-12:25)。会衆は今や『平和な時期に入り,しだいに築き上げられ, エホバへの恐れと聖霊の慰めのうちに歩みつつ,人数を増して』ゆきます。(9:31)ヨッパでペテロは多くの人から愛されるタビタ(ドルカス)を死からよみがえらせますが,そこにいる時に,カエサレアへ行くようにとの召しを受けます。そこでは,コルネリオという士官が彼を待っています。ペテロはコルネリオとその家の者たちに伝道し,彼らはそれを信じます。すると,聖霊が彼らの上に注ぎ出されます。「神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」ことを悟ったペテロは彼らにバプテスマを施し,彼らは無割礼の異邦人からの最初の転向者となります。後にペテロはこの新しい事態についてエルサレムの兄弟たちに説明し,兄弟たちはそれを聞いて神に栄光を帰します。―10:34,35。
18 (イ)アンティオキアで次に何が起きますか。(ロ)どんな迫害が巻き起こりますか。それは目的を遂げますか。
18 良いたよりが急速に広まってゆくにつれ,バルナバとサウロはアンティオキアでかなりの数の群衆に教えます。そして,「弟子たちが神慮によってクリスチャンと呼ばれたのは,アンティオキアが最初」です。(11:26)再び迫害が巻き起こります。ヘロデ・アグリッパ1世はヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺させました。そして,ペテロをも獄に入れます。しかし,再びエホバのみ使いがペテロを解放します。邪悪なヘロデにとっては悔しいことでしょう。神に栄光をささげないために,彼は虫に食われて死にます。一方,「エホバの言葉は盛んになり,広まって」ゆきます。―12:24。
19 パウロの第1回目の宣教旅行はどれほどの範囲に及びますか。それによって何が成し遂げられますか。
19 バルナバを伴ったパウロの最初の宣教旅行(13:1-14:28)。 * バルナバと,「サウロ,つまりパウロ」は,取り分けられ,聖霊によってアンティオキアから遣わされます。(13:9)キプロス島で大勢の人が信者となり,その中には執政官代理セルギオ・パウロもいます。小アジア本土では六つないしそれ以上の都市を回りますが,どこにおいても同様のことが起こります。すなわち,良いたよりを喜んで受け入れる人々と,群衆をあおってエホバの使者に石を投げつけさせるかたくなな敵対者たちとの間の明確な相違が生じます。新たに形成された会衆で年長者たちの任命を行なった後,パウロとバルナバはシリアのアンティオキアに帰ります。
20 割礼の問題はどのような決定によって解決されますか。
20 割礼の問題を解決する(15:1-35)。非ユダヤ人が非常に多く入って来るに及んで,それらの人々が割礼を受けるべきかどうかという疑問が起こります。パウロとバルナバはこの問題を携えてエルサレムにいる使徒や年長者たちのところに行きます。エルサレムでは弟子ヤコブが会合を主宰し,全会一致の決定を公式の手紙で伝えることを取り決めます。「聖霊とわたしたちとは,次の必要な事柄のほかは,あなた方にそのうえ何の重荷も加えないことがよいと考えたからです。すなわち,偶像に犠牲としてささげられた物と血と絞め殺されたものと淫行を避けていることです」。(15:28,29)この手紙による励ましは,アンティオキアの兄弟たちを喜ばせます。
21 (イ)2回目の宣教旅行のさいにはだれがパウロに同行しますか。(ロ)マケドニアでは特にどのような出来事がありますか。
21 パウロの2回目の旅行による宣教の拡大(15:36-18:22)。 * 「何日かの後」,バルナバとマルコは船でキプロスに向かい,一方パウロとシラスはシリアと小アジアを通って行きます。(15:36)若者テモテがルステラでパウロに加わり,一行はエーゲ海沿いのトロアスまで旅行します。ここでパウロは幻を見,ひとりの人が「マケドニアへ渡って来て,わたしたちを助けてください」と懇願しているのを見ます。(16:9)ルカがパウロに加わり,一行は船で,マケドニアの主要都市フィリピに渡ります。そこでパウロとシラスは獄に入れられます。しかしこれは,牢番が信者となってバプテスマを受けるという結果になります。釈放された後,彼らはテサロニケに進みますが,ねたみを抱いたユダヤ人たちが彼らに敵して暴徒をあおります。それで,兄弟たちは夜の間にパウロとシラスをベレアに送り出します。ここのユダヤ人たちは「きわめて意欲的な態度で」み言葉を受け入れ,学んだ事柄を確認しようとして,「聖書を注意深く調べ」ることにより,気持ちがおおらかな人々であることを示します。(17:11)ルカをフィリピに残したパウロは,ここの新しい会衆にもシラスとテモテを残し,自分はさらに南へ,アテネへと進みます。
22 アレオパゴスでのパウロの巧みな話の結果どのような事が起きますか。
22 偶像の満ちたこの都市で,高慢なエピクロス派やストア派の哲学者たちは,パウロを,「おしゃべり」とか「異国の神々を広める者」と呼んであざけり,アレオパゴスつまりマルスの丘に連れて行きます。巧みな弁論によってパウロは,「天地の主」なるまことの神を尋ね求めることを支持する論議を行ないます。その神は,死人の中から復活させたひとりの人による義の裁きを保証しておられます。復活のことを聞いて聴衆は分裂しますが,ある人々は信者となります。―17:18,24。
23 コリントではどんなことが成し遂げられますか。
23 次いでコリントでは,パウロはアクラとプリスキラのもとにとどまって,共に天幕作りの職に携わります。伝道の業に対する反対のためパウロはやむなく会堂を出,その隣にあったテテオ・ユストの家で集会を開きます。会堂の主宰役員クリスポが信者となります。コリントに18か月滞在した後,パウロはアクラおよびプリスキラと共にエフェソスに旅立ち,エフェソスに二人を残してから,パウロ自身はシリアのアンティオキアまで旅を続け,こうして2度目の宣教旅行を終えます。
24,25 (イ)パウロが3度目の旅に出たころ,エフェソスではどのような事が起きますか。(ロ)パウロの3年にわたるエフェソス滞在の終わりにどのような騒動が起きますか。
24 パウロは諸会衆をもう一度訪問,3度目の旅(18:23-21:26)。 * アポロというユダヤ人がエジプトのアレクサンドリア からエフェソスを訪れ,会堂でイエスに関して大胆に話しますが,アクラとプリスキラは,彼がコリントに進んで行く前にその教えに関して正すべき点があることを認めます。パウロのほうは今や3度目の旅に立ち,やがてエフェソスに到着します。その土地の信者がヨハネのバプテスマを受けていることを知ったパウロは,イエスの名によるバプテスマについて説明します。そののち12人ほどの人にバプテスマを施し,それらの人々の上に手を置くと,その人々は聖霊を受けます。
25 パウロがエフェソスに3年滞在している間に,『エホバの言葉は力強く伸張し,また行き渡ってゆき』,多くの人が市の守護神である女神アルテミスの崇拝を捨てます。(19:20)銀の宮の製造人たちは商売上の損失になると見て怒り,市を非常な騒乱状態に陥らせたため,その暴徒を散らすのに幾時間もかかります。そのしばらく後,パウロはマケドニアとギリシャに向けてそこをたち,途中,信者たちを訪問してゆきます。
26 (イ)パウロはトロアスでどんな奇跡を行ないますか。(ロ)パウロはエフェソスの監督たちにどんな助言を与えますか。
26 パウロはギリシャに3か月滞在した後,マケドニア経由で帰途に就きます。マケドニアではルカが再びパウロに加わります。一行はトロアスに渡ります。そこでパウロが講話をして夜中にまで及ぶと,ひとりの若者が眠りこけて3階の窓から転げ落ちます。抱き起こしてみると死んでいましたが,パウロはこれを生き返らせます。次の日,パウロとその一行はミレトスに向かい,パウロはエルサレムへの途上そこに立ち寄って,エフェソスからの年長者たちと会合を開きます。彼は,自分の顔をもう見ないであろうとそれらの人々に告げます。したがって,それら年長者たちが率先して物事を行ない神の羊の群れを牧するのは何と急を要することなのでしょう。『聖霊が彼らをその群れの中に監督として任命した』のです。パウロは自分が彼らの中に残した手本を思い出させ,兄弟たちのために惜しまず身を費やし,終始目ざめているよう訓戒します。(20:28)パウロはエルサレムに足を踏み入れないようにと警告されますが,しりごみしません。彼の仲間たちは,「エホバのご意志がなされるように」と言って黙諾します。(21:14)諸国民の中での宣教に対するエホバの祝福についてパウロがヤコブや他の年長者たちに報告すると,大きな喜びがわき起こります。
27 パウロは神殿でどのように迎えられますか。
27 パウロは捕縛されて裁判を受ける(21:27-26:32)。パウロがエルサレムの神殿に現われると,敵意をもって迎えられます。アジアから来たユダヤ人が全市をかき立てて彼に敵対させ,きわどいところでローマ兵が彼を救出します。
28 (イ)パウロはサンヘドリンでどんな問題を提出しますか。それはどのような結果になりますか。(ロ)次いで彼はどこに送られますか。
28 その騒乱は一体何事ですか。このパウロとはどういう人物ですか。どんな犯罪を行なったのですか。疑問に思った軍司令官はこうした点を知ろうとします。パウロはローマ市民権を得ていたので,むち打ちの拷問を免れ,サンヘドリンの前に連れ出されます。そこは,パリサイ人とサドカイ人の両派に分裂しているではありませんか。そこでパウロは復活の問題を提出し,両者を対立させます。その争いが激しくなったため,ローマ兵たちは,パウロが引き裂かれてしまわないうちに彼をサンヘドリンの中から救い出さねばなりません。パウロは厳重な護衛兵を付けられ,夜の間にカエサレアにいる総督フェリクスのもとにひそかに送られます。
29 扇動の罪を着せられたパウロは一連のどんな裁判や聴問を受けますか。彼はだれに上訴しますか。
29 告訴者たちによって扇動の罪を着せられたパウロは,フェリクスの前でりっぱな弁明をします。しかし,パウロの釈放と引き換えにわいろを得る望みを抱いたフェリクスは,彼をそのままにしておきます。2年が経過します。ポルキオ・フェストがフェリクスに継いで総督となり,新たな裁判を命じます。再び重い罪が着せられますが,パウロは再度自分の潔白を明確に述べます。しかし,ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェストは,エルサレムに行って自分の前でさらに裁判を受けることはどうかと提案します。そこでパウロは,「わたしはカエサルに上訴します!」と宣言します。(25:11)さらに時が経過します。やがて,王ヘロデ・アグリッパ2世がフェストに儀礼訪問をし,パウロは再び裁きの広間に引き出されます。彼の証言があまりに強力で説得力があったため,それに動かされたアグリッパは,「あなたはわずかの間に,わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている」と言います。(26:28)アグリッパもパウロの潔白を認め,カエサルに上訴していなかったら釈放されたであろう,と言います。
30 マルタまでのパウロの航海にはどんな経験が伴いますか。
30 パウロはローマへ行く(27:1-28:31)。 * 囚人となったパウロと他の人々は,ローマへの旅路の最初の行程として船に乗せられます。風が逆向きであるため,船の進行ははかどりません。ミラの港で一行は船を換えます。クレタの“良い港”に着いた時,パウロはそこで冬を過ごすことを勧めますが,大多数の者は出帆を促します。船がやっと海に乗り出したと思うころ,大暴風が一行をとらえ,容赦なく船を押し流します。2週間後,一行の船はついにマルタ沖の浅瀬に乗り上げて壊れます。パウロがあらかじめ保証したとおり,276人の乗船者はひとりも命を失いません。マルタの住民は人間味のある親切を一方ならず示し,パウロのほうは,その冬の間に,神の霊の奇跡の力によって住民の多くの者をいやします。
31 ローマに着いたパウロはどのように迎えられますか。彼はそこでどんな活動に忙しく携わりますか。
31 翌春,パウロはローマに着き,兄弟たちは道の途中まで彼を出迎えます。パウロは彼らを見て「神に感謝し,また勇気づけられ」ます。依然囚人の身ですが,パウロは,一人の衛兵のもとに,自分の借りた家に住むことを許されます。ルカは,パウロが自分のところに来た人をみな親切に迎え,「妨げられることなく,全くはばかりのないことばで人々に28:15,31。
神の王国を宣べ伝え,また主イエス・キリストに関することを教え(た)」ことを述べて,その記述を終えます。―なぜ有益か
32 ペンテコステの前およびその祭りのさいペテロはヘブライ語聖書の信ぴょう性についてどのように証言しましたか。
32 「使徒たちの活動」は,福音書の証言にさらに付け加え,ヘブライ語聖書の信ぴょう性,およびそれが霊感の働きによるものであることを確証しています。ペンテコステが近づいた時,ペテロは,「聖霊がダビデの口によりユダについてあらかじめ語った」二つの預言の成就を引き合いに出しました。(使徒 1:16,20。詩編 69:25; 109:8)ペテロはまた,驚き入るペンテコステのさいの群衆に対して,彼らが目撃しているものは預言の成就であることを語りました。「これは預言者ヨエルを通して言われた事柄です」― 使徒 2:16-21。ヨエル 2:28-32。また使徒 2:25-28,34,35を詩編 16:8-11および110:1と比較してください。
33 ペテロ,フィリポ,ヤコブ,およびパウロはいずれも,ヘブライ語聖書が霊感によるものであることをどのように示しましたか。
33 神殿の外にいた別の群衆を納得させるために,ペテロは再びヘブライ語聖書に頼り,まずモーセのことばを引用し,次いでこう語りました。「実際,サムエル以来のすべての預言者,およびそれに続いた人々,およそ語った者は皆,やはりこの時代のことをはっきり告げ知らせました」。後に,サンヘドリンの前で,ペテロは詩編 118編22節を引用し,彼らの退けた石であるキリストが「隅の頭」となったことを示しました。(使徒 3:22-24; 4:11)フィリポはイザヤ 53章7節と8節の預言がどのように成就したかをエチオピアの宦官に説明しました。それによって啓発されたこの人は,謙遜な態度でバプテスマを求めました。(使徒 8:28-35)同様に,コルネリオに対しイエスについて話したペテロは,『この方についてはすべての預言者が証しをしている』と証言しました。(10:43)割礼の問題が討議された時,ヤコブは,「預言者たちの言葉はこのことと一致しています。こう書いてあります」と述べて,自分の判断を裏付けました。(15:15-18)使徒パウロも物事の権威を同じところに求めています。(26:22; 28:23,25-27)弟子たちやその話を聞く人々が明らかにヘブライ語聖書を神の言葉の一部として心から受け入れていたことは,それらの書が神の霊感による是認を受けたものであることを示す証印となっています。
34 クリスチャン会衆に関して「使徒たちの活動」は何を明らかにしていますか。今日この点で異なるところがありますか。
34 「使徒たちの活動」は,クリスチャン会衆がどのように設立され,それが聖霊の力によってどのように成長したかを示している点で極めて有益です。この劇的な記述全体を通して,わたしたちは,神の祝福による拡大,初期クリスチャンたちの喜びと大胆さ,迫害に遭っても妥協しないその確固たる態度,外国での奉仕に入ってマケドニアへ行くようにとの召しに答え応じたパウロに示されるような,進んで仕える態度を見ることができます。(4:13,31; 15:3; 5:28,29; 8:4; 13:2-4; 16:9,10)今日のクリスチャン会衆もこれと異なりません。それは,聖霊の導きのもとに「神の壮大な事柄」について語りつつ,愛と一致と共通の関心とによって結び合わされているからです。―2:11,17,45; 4:34,35; 11:27-30; 12:25。
35 証しの業がどのようになされるべきかを「使徒たちの活動」はどのように示していますか。宣教におけるどんな資質が強調されていますか。
35 「使徒たちの活動」は,神の王国をふれ告げるクリスチャンの活動がどのように遂行されるべきかを示しています。パウロ自身はその手本でした。彼はこう述べています。「わたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした」。そして彼はさらに,「(わたしは)徹底的に証しをした」と述べます。『徹底的に証しをする』ということは,この書全体のテーマとしてわたしたちの注意を引きますが,特に結びの数節で,それが印象的なかたちで前面に出されています。そこでは,パウロが,獄に捕らわれた身にありながら,宣べ伝えて教える業に全く専念していた様が次のように証しされています。「彼は,神の王国について徹底的な証しをしたり,モーセの律法と預言者たちの両面からイエスについて彼らを説得したりして,朝から晩まで事実を説明した」。私たちも,王国の活動において同じようにひたむきな心を常に抱けますように。―20:20,21; 28:23; 2:40; 5:42; 26:22。
36 パウロの述べたどんな実際的な助言が今日の監督たちにも強力に当てはまりますか。
36 エフェソスの監督たちに対するパウロの講話は,今日の監督たちに対する実際的な助言を多く含んでいます。監督たちは聖霊によって任命されているのですから,彼らが『自分自身と群れのすべてに注意を払い』,群れを優しく牧し,群れの破壊を狙う圧制的なおおかみからそれを保護することは非常に大切です。これは決して軽い責任ではありません。監督たちは終始目ざめ,神の過分のご親切を示すみ言葉に基づいて自らを築き上げてゆくことが必要です。弱い人たちを助けるために労しつつ,彼らは,「主イエスご自身の言われた,『受けるより与えるほうが幸福である』との言葉を覚えておかなければ」なりません。―20:17-35。
37 アレオパゴスに立ったパウロは,どのような巧みな弁論によって論点を明瞭にしましたか。
37 パウロの他の講話も,聖書の原則を明解に説明するものとして輝いています。一例として,アレオパゴスでストア派とエピクロス派の人々に対して行なったあの優れた弁論があります。彼はまず,ある祭壇に書き込まれていた,「知られていない神に」という銘文を引用し,それを自分の推論に利用して,一人の人からあらゆる国民を造った,天地の主である唯一まことの神が『わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけではない』ことを説明します。次いで彼は,「そはわれらはまたその子孫なり」というギリシャの詩人の言葉を引用し,自分たちが金・銀・石などでできた無生の偶像から生まれ出たかのように考えることの愚かさを示します。こうしてパウロは,生ける神が主権を持たれることを巧みに論証します。その結びの言葉において初めて17:22-34。
復活の問題を提出しますが,その場合でもキリストの名には触れません。パウロは唯一まことの神の持たれる主権の至上性を明瞭にし,結果としてある人々は信者となります。―38 「使徒たちの活動」の中で鼓舞されているような勤勉な研究をする人にはどんな祝福がもたらされますか。
38 「使徒たちの活動」は,「聖書全体」を絶えず勤勉に研究することを励ましています。パウロが初めてベレアで伝道した時,そこのユダヤ人たちは,「きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べた」ゆえに,「気持ちがおおらかであった」としてほめられています。(使徒 17:11)当時と同じく今日でも,エホバの霊の満ちた会衆に連なって聖書を同じように意欲的に調べる人は,確信と強固な信仰という祝福を刈り取ります。そうした研究を通して,人は神の原則の意味を明確に理解できるようになります。そうした原則の幾つかをはっきり述べたものとして,使徒 15章29節の記録があります。その中で,使徒やエルサレムの年長の兄弟たちから成る統治体は,割礼は霊的なイスラエルに対する要求ではないが,偶像・血・淫行は明確に禁ずべきものであることを明らかにしました。
39 (イ)弟子たちはどのように強められて迫害に立ち向かうことができましたか。(ロ)彼らはどのように大胆な証言をしましたか。それは効果的でしたか。
39 それら初期の弟子たちは霊感による聖書を深く研究し,その聖書のことばを必要に応じて引用したり当てはめたりすることができました。彼らは正確な知識と神の霊とによって強められ,激しい迫害に立ち向かうことができました。反対する支配者に対して,「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」と大胆に語ったペテロとヨハネは,忠実なクリスチャンすべての従うべき模範を示しました。そして,イエスの名によってもう教えてはならないと『きっぱり命じた』サンヘドリンの前に再び引き出された時,彼らは,「自分たちの支配者として人間より神に従わねばなりません」とはっきり答えました。こうした恐れるところのない証言の結果,支配者たちに対するりっぱな証しがなされ,著名な律法教師ガマリエルが,崇拝の自由を擁護する,あの広く知られた発言をするに至りました。その結果として使徒たちは釈放されたのです。―4:19,20; 5:28,29,34,35,38,39。
40 王国に対する徹底的な証しをする点で「使徒たちの活動」はわたしたちにどのような励みを与えますか。
40 王国に関するエホバの栄光ある目的は,一本の金糸のように聖書全巻を貫いていますが,それは,「使徒たちの活動」の中で特に際立っています。その冒頭では,昇天に先立つ40日の間イエスが「神の王国に関する事柄を話され」たことが示されています。また,イエスは弟子たちに,地の最も遠い所にまで彼らがまずイエスの証人となるべきことを話されましたが,それは,王国の回復に関する弟子たちの質問に対する答えとして語られたものでした。(1:3,6,8)弟子たちはエルサレムから始め,ひるむことのない大胆さをもって王国を宣べ伝えました。迫害のためにステファノの石打ちが起きましたが,そのために弟子たちの多くは新しい区域に散らされました。(7:59,60)フィリポが『神の王国の良いたより』をサマリアで宣明して大きな成果を見たこと,また,パウロとその仲間たちがアジア,コリント,エフェソス,およびローマで「王国」をふれ告げたことが記録されています。これら初期のクリスチャンは皆,エホバと,ご自分の僕を支えるエホバの霊とに常に依り頼み,この点で優れた手本を残しました。(8:5,12; 14:5-7,21,22; 18:1,4; 19:1,8; 20:25; 28:30,31)彼らの不屈の熱意と勇気を見,その努力をエホバがいかに豊かに祝福されたかを見るわたしたちは,「神の王国について徹底的な証し」をする点で自分も同じように忠実でありたいというすばらしい励みを得ます。―28:23。
[脚注]
^ 4節 「旅行者としての聖パウロ」(英文),1895年,4ページ。
^ 5節 「目ざめよ!」(英文),1947年7月22日号,22,23ページに引用されたもの。「目ざめよ!」,1971年7月8日号,28,29ページもご覧ください。
^ 6節 「聖書に対する洞察」(英文),第1巻,153,154,734,735ページ; 第2巻,748ページ。
^ 19節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
^ 21節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
^ 24節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,747ページ。
^ 30節 「聖書に対する洞察」(英文),第2巻,750ページ。
[研究用の質問]