エホバの証人 ― 1997 年鑑の報告
エホバの証人 ― 1997 年鑑の報告
イエス・キリストは地上における宣教を成し遂げられました。イエスは,ご自分の追随者たちがこれまで一度も経験したことのない業のために訓練を施されました。追随者たちは,イエスが神とそのお目的について,海辺,山腹,道端,仕事場,神殿域,個人の家など,人のいるところならどこでも証言なさる様子を観察しました。イエスは確かにエホバの「忠実で真実な証人」でした。(啓 3:14)また,イエスは弟子たちにこの証言の業を経験させるために,二人ずつ遣わされました。
そして天に昇る前に,イエスは弟子たちにこう述べられました。「聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。(使徒 1:8)なんと膨大な割り当てなのでしょう。どうしたらそれを成し遂げることができるでしょうか。イエスが言われたように,エホバの聖霊が重要な要素となります。
弟子たちの証言は聖霊の後ろ盾を得て,すぐにメソポタミア,南ヨーロッパ,北アフリカの人々に伝わりました。しかし,それはほんの始まりにすぎませんでした。イエスは,神のメシアの王国が天で設立された事物の体制の終結の時に,「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」と預言されました。(マタ 24:14)今まさにそれが行なわれていることを事実は示しています。
昨奉仕年度中,233の国や群島や地域で王国の証言が行なわれまし
た。報告によると,この活動に11億4,062万1,714時間が費やされました。これでこの重要な活動に10億時間以上費やされた年が5年連続したことになります。毎月平均して516万7,258人が神の王国についての公の証言を行ないました。昨奉仕年度中のある月に,最高数である541万3,769人の伝道者が奉仕に参加しました。毎月平均して64万5,509人が開拓者として宣教に携わることができました。羊のような人々の収穫の業は,34ページから41ページの表に見られるように引きつづき前進しています。幾つかの国での増加は以前の年を下回りましたが,他の場所ではすばらしい増加が見られました。ルワンダでは61%,アルバニアでは52%の増加がありました。ボスニア・ヘルツェゴビナ,ラトビア,リトアニア,マケドニア,モルドバ,それにロシアでは20%余りの増加が見られました。
宣教における備え
エホバの証人が宣教において使う最たる道具は聖書です。証人たちは様々な翻訳の聖書を使います。しかし,神のみ言葉の正確な知識を得るよう人々を助けるという目的を念頭に置きつつ,特に「新世界訳」聖書の配布に力を注ぎます。年ごとに,さらに多くの言語で「新世界訳」聖書を入手できるようになっています。現時点において,「新世界訳」聖書(クリスチャン・ギリシャ語聖書のみ,あるいは全巻)は27の言語で(さらに英語とポルトガル語では点字版でも)読まれています。
過ぐる年に,「新世界訳」全巻がノルウェー語で発表されました。ノルウェーの地域大会でこの発表が
あった際には拍手喝采がわき起こり,多くの人は喜びの涙を流しました。ノルウェーの証人たちにとって,これはその年の際立った出来事でした。「参照資料付き聖書」の特徴すべてを含めたフランス語の「新世界訳」聖書の改訂版も出版されました。フランスの幾万人もの証人たちは,フランス語の聖書の前の版を棚にしまっておくのではなく,それらを贈り物としてフランス語が広く話されている他の十の国,すなわちハイチやアフリカの国々に住んでいる兄弟姉妹たちに送りました。それに加えて,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」がセソト語とコーサ語で発表され,あと二つのアフリカの言語でも翻訳が完了しました。今日に至るまでに,9,140万3,319冊もの「新世界訳」聖書が諸言語で印刷されています。宣教そして個人研究で用いるために他の貴重な出版物も備えられています。1996年中に,「幸せな家庭を築く秘訣」の本と「神はわたしたちに何を求めていますか」のブロシュアーが発表されました。ただし,このような出版物の初期の準備は単なる始まりでしかありません。世界という畑に達するには,翻訳をしなければなりません。昨奉仕年度中に,全部で164の言語と関連した206の本と226のブロシュアーの翻訳が完了しました。「永遠の命に導く知識」の本(1995年に発表)は,今では119の言語に翻訳されています。「幸せな家庭」の本は既に86の言語で入手できます。「地上での生活を永遠に楽しんでください」
のブロシュアー(1982年に発表)は237の言語で印刷されています。「神はわたしたちに何を求めていますか」という新しいブロシュアーは既に113の言語で配布されており,さらに99の言語で出版する予定です。この年には,協会は今までのリストに加えて新たに18の言語で聖書関係の文書を出版しました。既に印刷されているこれらの言語のパンフレットやブロシュアーは,少数言語を話す旧ソビエト連邦内の幾つかのグループ,東南アジアの多くのグループ,さらに多くのアフリカのグループ,そして南北アメリカの幾つかのグループの,合計2,500万もの人々に王国の音信を伝えるために役立っています。母国語で文書を受け取るときにこれらの人々が受ける影響には目を見張るものがあります。
ビデオも現代の宣教において用いられていますが,それらがどの
ように供給されているか少し見てみましょう。ビデオは,聖書に対する信仰を強め,聖書の基本的な真理を教え,エホバの証人の名の背後にある組織について人々に知ってもらうために用いられています。現在までに,35の言語で700万本余り生産されています。米国の撮影スタジオと既に機能しているデンマークやオランダの関連施設に加えて,昨年,アジアの諸言語を扱うために日本に録音録画装置と編集装置が一式設置されました。当然のことですが,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌は定期的に発行されています。「ものみの塔」誌を113の言語で同時出版(他の12の言語は遅れて出版)し,「目ざめよ!」誌を55の言語で同時出版(他の25の言語は遅れて出版)するために,調査,執筆,編集,デザイン,それから翻訳,印刷という膨大な作業が継続してなされています。この努力は決して無駄にはなりません。なぜなら,これらの雑誌の主要な目的は,将来の唯一確かな希望,つまり神の王国に人々の注意を向けさせることだからです。過ぐる年に,これらの雑誌は過去に類例を見ない規模で印刷され配布されました。
昨奉仕年度中,米国の輪転機の生産は7.1%増え,2億3,598万1,300冊の雑誌が印刷されました。英国の報告によると,過去2年間で印刷工場の雑誌の生産が34%増加しました。宣べ伝える業をビジネス街や街路に広げるよう,よりいっそう強調される中,その国の熱心な王国伝道者たちは,証言したときに受ける多くの良い反応に大きな喜びを見いだしています。
ドイツ支部では,昨奉仕年度ほど大量に書籍や雑誌を印刷したことはこれまでに一度もありませんでし
た。書籍の生産は合計1,850万冊近くで,1995年に比べて46%増加しました。雑誌の生産は1億6,950万冊余りで,35%の増加でした。ドイツで印刷された毎号370万冊の雑誌のうち,約130万冊の「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌はロシア語で印刷され,世界という畑のその部分における熱心な証言に貢献しました。ウクライナでは,4月に207万3,011冊の雑誌が真理に飢えている人々の手に渡りました。それは3か月前の雑誌の配布数と比べて68%の増加でした。マルタ島では,昨年の5月に比べて今年の5月の雑誌配布数は2.5倍になりました。世界の多くの場所で,兄弟たちはまさに特別な雑誌の日を設けます。ある兄弟たちは,その日の野外奉仕のための集まりに3回も4回も出席しました。兄弟たちは得られた結果に興奮していました。
宣教の重要な部分として,関心を示した人たちを再び訪問することが挙げられます。このことは,昨年4億2,182万7,954件の再訪問が行なわれたこと,また平均して毎月485万5,030件の家庭聖書研究が行なわれたことに反映されています。研究のあるものは,「永遠の命に導く知識」の本を用いて週に何回も行なわれました。東アフリカにあるタンザニアのある看護婦は,毎回一章全部を研究するということはできなかったものの,毎日研究をして本を終え,バプテスマを受ける準備が整いました。かつてロシアの兄弟たちが信仰のゆえに流刑に処せられたシベリアからは,次のような報告が寄せられています。「余りにも多くの人たちが聖書研究を求めるため,兄弟たちはすべての人と研究することができません。兄弟たちは関心のある人たちを順番待ちリストに載せて,その間それらの人には会衆の集会に出席してもらいます」。
記念すべき夜
毎年,クリスチャンの暦で最も特筆すべき出来事は,キリストの死の記念式です。1996年には,4月2日の日没後に記念式が執り行なわルカ 12:32。コリ一 11:23-25)しかし,「ほかの羊」も見守る者として出席します。(ヨハ 10:16)「ほかの羊」は,キリストの贖いの犠牲と,それによって可能になる,神の王国の臣民として生きる,地上でのとこしえの命の見込みに深く感謝しています。そのすばらしい備えを学ぶため,あるいはそれに対する認識を深めるために,他の人々にも共に出席するよう促します。その結果,今年は1,292万1,933人が記念式に出席し,そのうち8,757人だけが表象物にあずかりました。
れました。記念式とはまず第一に,人間としての生涯最後の晩を過ごされたときに主が与えられた命令に従って,「小さな群れ」つまりキリストの油そそがれた追随者たちが,象徴的なパンとぶどう酒にあずかる機会のことです。(メキシコの1万643の会衆では,出席者数は合計151万8,156人でした。ブラジルの6,526の会衆では,107万5,039人が出席しました。米国の出席者数は202万4,476人に達しました。キューバでは14万5,337人,マラウイでは10万5,630人が出席しました。
3月初旬に,アルバニアでは特別な運動が組織されました。関心のある人々を見つけて,それらの人々が出席できる場所で記念式を行なうよう取り決めるためです。この国には,15の会衆と14の孤立した群れしかないにもかかわらず,記念式は50の場所で行なわれました。伝道者が45人のある会衆では,記念式の出席者数が一つの場所で400人で,書籍研究が開かれている場所ではさらに110人が出席しました。ですから,当時773人の伝道者が奉仕していたこの国で,6,523人が記念式に出席しました。それは伝道者数の8倍を上回る出席でした。
「神の平和の使者」が集い合う
世界各地で,エホバの僕たちは毎年開かれる地域大会を楽しみにしています。もし地元で開催できないのであれば,毎年与えられるこの霊的な宴のために,国境を越えてでも出席します。過ぐる年詩 119:165。
に始まった一連の地域大会の主題は「神の平和の使者」でした。「豊かな平和はあなたの律法を愛する者たちのものです」という言葉はなんと真実なのでしょう。―多くの国では二つか三つの大会で出席者すべてを収容できました。米国とブラジルでは,出席者すべてを収容するために190以上の大会が必要でした。メキシコでは181の大会が開かれました。
7月には,チェコ共和国のプラハで国際大会が開かれました。集まった2万1,000人余りの出席者に,3人の統治体の成員が話をしました。出席者はおもにチェコ共和国からでしたが,数千人がオーストリア,カナダ,ドイツ,日本,ポーランド,スロバキア,スイス,そして米国からも来ていました。もう二つの国際大会がポーランドのウッジとワルシャワで開催され,そこに出席した人たちはエホバの霊が明らかにされたことを鋭く感じていました。8月には,二つの国際大会がエストニアのタリンで開催されました。その大会には,エストニア人,ラトビア人,リトアニア人,ロシア人,その他,合計15の国や地域からの出席者がいました。地元の新聞は,「タリンは文字どおりエホバの証人の崇拝で満たされてしまった」と伝えました。大会の代表者の一人は次のように付け加えました。「これは新しい世がもたらそうとしていることの,ほんの前触れでした」。
東ヨーロッパの他の国と同様に,ルーマニアのブカレストでも国際大会が計画されていました。しかし,これにルーマニア正教会が激しく反対しました。扇動的なポスターがブカレスト中に見られるようになりました。新聞,テレビ,ラジオなどがあおり立てるために用いられました。ホテルの経営者は契約を破棄するよう説得されました。政府とスタジアムの経営陣は屈して,スタジアムの契約は取り消されました。そのような最中,兄弟たちはイザヤ 51章7節やエレミヤ 50章34節などの霊感を受けた約束によって支えられました。しかし,兄弟たちは大会のプログラムから益を得ることができるのでしょうか。
実は,数カ月前にハンガリーのブダペストで地域大会の取り決めが成されていたときに,兄弟たちは,1991年に35の国や地域から代表者たちが来た時に使用した大きなスタジアムを借りる計画はしていませんでした。今回,そのスタジアムはとても大きすぎると思ったからです。しかしながら,そこの経営者が余りにも魅力的な値段を提示したために,兄弟たちは,会場の一部分を使うつもりでそのスタジアムを借りることにしました。ところが,ルーマニアの問題が拡大したために,ブダペストで国際大会を開く計画をするようハンガリーの支部に指示が与えられました。大勢の群衆を収容できるスタジアムが既に確保してあったとは,何という神慮の表われだったのでしょう。ブダペスト最大の夕刊の見出しはこうなっていました。「ブカレストではなくブダペスト。エホバの証人がネープ・スタジアムに来る」。ブダペストには,12の国から2万3,893人が出席しました。ハンガリーで開かれた他の二つの大会も合わせると,出席者合計数は3万6,326人に上りました。
これらのことが起こっている間,ルーマニアではさらに進展がありました。統治体の成員であるセオドア・ジャラズは,それらの出来事を振り返ってこう述べました。「エホバの天の兵車が動いたとしか言いようがありません。その兵車はスピードを調整することができます。いつでも動きを調整し,方向を変えることができます。問題は,地上の組織がそれについていかなければならないことです」。(エゼ 1:4-28)大会が始まるわずか一週間前に,兄弟たちはルーマニアの北西部に位置するクルジュナポカのスタジアムの契約を取り付けました。幾千人もの代表者たちの旅程を変更する必要が生じました。6,000人分の宿舎を探さなければなりませんでした。準備のための仕事は数日間に詰め込まれました。そして,大会開始のわずか二日前に,ルーマニアの東部中央に位置するブラショフで二つ目の大会会場が見つかりました。その準備はエホバの霊によってしか成し遂げられなかったでしょう。結果は どうだったでしょうか。クルジュナポカの大会の出席者最高数は2万2,004人でした。ブラショフでは,ブルガリアからきた1,056人を含めて1万2,862人が出席しました。バプテスマを受けた人の合計は1,631人でした。
ブカレストに話を戻すと,教会は大会の初日に抗議集会を開くよう呼びかけました。しかし結局,警察と一人の年配者しか現われず,兄弟たちはそれらの人に書籍を渡して良い証言をしました。エレミヤ 1章19節に書かれているとおりです。「彼らは必ずあなたと戦うことになるが,あなたに打ち勝つことはない。『わたしがあなたと共にいて,あなたを救い出すからである』と,エホバはお告げになる」。
自由のための長い闘い
1世紀において,使徒たちや他の弟子たちは,激しい反対にしばしば遭いました。現在ギリシャにあるフィリピでそれが起こったときに,使徒パウロとその仲間たちは『良いたよりを法的に確立する』ような仕方で事態に対処しました。(フィリ 1:7)その前例に倣って,1936年に協会は世界本部に法律部門を設置しました。統治体の出版委員会の指導のもとで,現在ニューヨーク州パタソンのものみの塔教育センターにある協会の法律部門は,他の支部の法律部門の援助を受けながら,現代における信教の自由のための闘いにおいてエホバの民を助けています。
信教の自由のための法的な闘いは,良いたよりが広まるのを妨げるためにサタンが行なうあからさまな正面攻撃,あるいはその業を行なう人々の生活を侵害する,サタンのより巧妙な手口に対応するために行なわれるものです。(啓 12:17)神のみ言葉に従って血を避け,子供をエホバの精神の規整と懲らしめによって育て上げ,世の政治上の事柄に対して中立を保つ自由は,わたしたちの証しの業に影響を及ぼします。これらすべては法的な争いの争点となっ てきました。1996奉仕年度中,そのような自由のための闘いにおいて,エホバの豊かな祝福がみられました。
例えば,5年近くの下級審での訴訟の末,日本の最高裁判所は,公共の教育が関係した崇拝の自由の論争に初めて判決を言い渡しました。1996年11月1日号の「ものみの塔」誌に報告が載せられているこの全員一致の判決は,日本のエホバの証人すべての益となるでしょう。
州の上訴裁判所における重要な法的な闘いが米国で繰り広げられました。1994年8月に,子供が母親なしで養育される可能性を主張して,コネティカット州の病院は午前3時30分に裁判所命令を得て,ネリー・ベガに強制的に輸血を施しました。出血が既に止まっていたことと,ベガ姉妹が明確に述べていた輸血拒否の立場を示した夫と弁護士の主張は押しやられました。しかし,1996年4月16日にコネティカット州の最高裁判所は全員一致で,輸血命令が「ベガ(姉妹)のコモン・ロー上保障されている身体に関する自己決定権を侵害した」との判決を下しました。この判決は,輸血を防ぐためには間に合いませんでしたが,他の人々の助けとなるでしょう。フロリダ州のティーナ・ハレルの裁判では,控訴裁判所が,ハレル姉妹の輸血拒否の立場に挑戦した病院と第一審をけん責しました。
島国のプエルトリコも,上訴裁判所におけるエホバの民の勝利の舞台となりました。ルース・クイラスは待機手術のために入院しましたが,力づくで拘束されました。二人の看護婦と医師に押さえられ,本人の意思に反して輸血が施されたのです。姉妹のために訴訟が起こされました。1996年4月1日に,サンファン巡回控訴裁判所は,コモンウェルス・オブ・プエルトリコの権利章典が保障している,姉妹の憲法上の崇拝の自由とプライバシーの権利が侵害されたことを確認しました。
親権に関する闘いで,米国のある審理裁判官は,テレサ・パルマーの3歳半の娘が7歳になるまで集会に出席できず野外奉仕にも
参加できないという判決を下しました。しかし,ネブラスカ州最高裁判所は,宗教を拘束するそのような条件を取り除きました。ノルウェーの最高裁判所も,親権に関する闘いで,証人である親の権利を認めました。1996年3月29日に,その裁判所は,どちらの親に親権が与えられるかを決定する際に,親の信奉する宗教に対する裁判所の主観的な意見ではなく,子供の最も益となる事柄に基づかなければならないことを明らかにしました。加えてベルギーのモンスの地方裁判所は,11歳の女の子が個人的に選んだエホバの証人の信仰と宗教行為を引きつづき実行する権利と能力を持っているという判決を下しました。ドイツで下された別の親権に関する判決で,ハムの地方高等裁判所は,エホバの証人の宗教的な教えが子供の成長を阻害するとの弁論を却下しました。オーストリアのさらに別の件では,イングリート・ホフマンのためにヨーロッパ人権裁判所に控訴がなされました。特筆すべき法的前例が確立され,ホフマン姉妹は今では子供たちの全面的な親権を有しています。コロンビアでは,エホバの証人が初めて宗教として公式に認められました。このことは重要でした。というのは,それがなければ最近改定があった法律によって宣教者ビザを取得するのが不可能となり,税金の免除も受けられなくなるからです。同様に重要な事柄として,ニカラグアにある協会の支部は,昨奉仕年度中にインターナショナル・ミッションの地位を取得することができました。良いたよりがタンザニアからも届いています。1995年10月5日に,「タンザニアのエホバの証人協会」としての登録がなされたのです。
6年間にわたって繰り広げられるという異例の法的な闘いが,ブラジルで昨奉仕年度中,有利な判決をもって幕を閉じました。1990年11月に,ブラジルの国立社会保障機関は,今後ベテル家族の成員853人(現在1,150人)が宗教的な奉仕者として扱われなくなり,結果として同国の労働法が適用されることを協会の支部事務所に通達してきました。長い法的な闘いが始まりました。幸いにも1996
年6月7日に,ブラジリアの法務局の法的諮問委員会は,全時間自発的に働く宗教的な奉仕者という,ベテル家族の成員の立場を認める決定を下しました。政府の高官にエホバの証人の業と活動の真意を知らせることは,現代の自由の闘いの肝要な部分となっています。「ものみの塔」誌,1996年5月1日号は,この点で重要でした。それは,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」というイエスの指示を説明したものでした。(ルカ 20:25)その号の「ものみの塔」誌を受け取ったウクライナの政府の高官たちは,兄弟たちに次のように述べました。「この主題について少なからぬ話し合いがなされ,あなたがたのことを理解しようと努めました。でも,あなたがたの雑誌を注意深く読んだ今,一般市民的奉仕に対する立場はとてもよく分かります」。
時には,エホバの証人の敵たちが起こす誤った情報を伝える運動に対して,正しい情報を出版する必要が生じます。フランスでは,「エホバの証人についてあなたに知っていただきたいこと」というパンフレットが1,100万枚以上,1996年の5月と6月に国中で配布され,一般の人からとても良い反応がたくさん得られました。このパンフレットはグアドループとマルティニーク島でも広範にわたって配布されました。
現代の自由の闘いにおいて,衆人環視の中に置くことは有用な手段となってきました。シンガポールの法廷において兄弟たちの権利を擁護する努力が不成功に終わった後に,統治体は,特別な4ページのパンフレットを世界中の特定の政府の高官たちに配布して,シンガポールの兄弟たちの不正な扱いについて知ってもらうことを承認しました。「シンガポールにおける宗教的迫害」と題するパンフレットの表紙には,ものみの塔の書籍を所有していたとして逮捕されたいわゆる“犯罪者”の写真が載っています。笑みをたたえた忠実な姉妹の写真の下には次のような説明文があります。
「71歳のエホバの証人は裁判官に『私は政府を脅かしたりしません』と述べました。それでも,刑務所に入れられました」。紅海に面したエリトリアでは,兄弟たちは暴行を受けたわけではないものの,中立の立場ゆえに仕事や家,政府の手当を失いました。ニューヨーク・タイムズ紙がエリトリアの経済発展を「アフリカの成功物語」と絶賛した記事を載せたときに,協会の法律部門はその記事の中の「エホバの証人が報復を受ける」と題する副見出しに注意を促し,そのような国を本当に「成功物語」と呼んでよいのか,と問い合わせました。その答えとして,1996年5月7日付のニューヨーク・タイムズ紙は協会の手紙を載せ,自らそれに「エリトリアは人権を尊重するのに失敗」という思い切った見出しを付けました。
この報告からも分かるとおり,悪魔サタンは,考え得るあらゆる合法あるいは非合法な方法を用いてエホバの僕の活動を妨げようとしています。わたしたちすべては,神の王国の良いたよりを人類に聞かせまいとする『邪悪な霊の勢力に対して格闘』しつづけたいものです。(エフェ 6:10-18)そうするときに,ローマ 8章31節の使徒パウロの言葉はなんと慰めとなるのでしょう。「もし神がわたしたちの味方であるなら,だれがわたしたちに敵するでしょうか」。その答えは,問題になるほどの者はだれもいない,です。なぜならば,エホバのお目的はだれも覆すことができないからです。
進んで必要の大きな所で奉仕する
昨年,ものみの塔ギレアデ聖書学校の卒業生たちは,多くの実り豊かな畑における霊的な収穫の業を助けるために送り出されました。卒業した夫婦たちは,アフリカの12の国,西半球の八つの国(おもに中央アメリカと南アメリカ),東ヨーロッパの三つの国,そしてアジアの三つの国に任命されました。
他の開拓者たちは,自国の必要とされているどんな所でも奉仕できる
ように自らを差し出しました。過ぐる年に,米国では1,172人の意欲的な開拓者たちが,どの会衆にも割り当てられていない区域で証言するのに貢献しました。さらに1,236人が,協会に特別な援助を要請した294の会衆の,めったに伝道されていない区域で証言するのを助けました。英国では,多くの開拓者たちは自国にも実り豊かな宣教者向けの畑があることに気づいています。それには,近年,他の国から移住してきた移民が含まれます。このまさに国際的な畑の世話をするために,英国の開拓者たちは28の言語を習得するのに一生懸命です。
支部委員の学校が開始される
ニューヨーク州のパタソンにあるものみの塔教育センターがまだ設計中だった頃,支部委員を訓練する施設を設ける計画がありました。これらの兄弟たちのために特別なカリキュラムが組まれました。1995年11月24日,金曜日に一期生24人が入学し,翌週の月曜日に授業が始まりました。
昨奉仕年度中,この学校で,8週間にわたる授業が3回開かれ,協会の60の支部から来た兄弟たちの訓練がなされました。それらの支部は,エホバの証人282万5,000人余りの奉仕を監督し,割り当てられている地域の中に世界人口の45%余りを有しています。それで,この学校の成果はすぐに世界の多くの場所に伝わって行きました。
重い責任が支部委員の肩にかかっています。イエスが述べられた原則で,ルカ 12章48節の後半に書き記された言葉によると,霊によって任命された男子で多くをゆだねられた人は,普通以上を要求されるのです。このような理由で,それらの兄弟たちを周期的に訓練するための授業は有益なのです。
これらの兄弟たちが監督する責任のある事柄には何が含まれますか。ベテル家族の成員の世話とベテル・ホームの管理。通信物,文書の依頼,奉仕関連の事柄,協会の出版物の翻訳などを扱う事務
所の仕事の監督。大小の規模の印刷業務。文書,雑誌,その他の供給物の会衆への発送。会衆の伝道者,開拓者,宣教者によって行なわれる王国を宣べ伝える業と弟子を作る業。旅行する監督が定期的に会衆や孤立した群れを訪問するよう取り決めること。巡回大会や地域大会を計画することなどです。学校の授業では,それらすべてを含め,さらに充実した支部の運営と野外の組織の両方に関する内容が徹底的に話し合われます。授業の大きな部分を占めるのは聖書の教えです。クリスチャンの生活のすべての面を律する神の律法と聖書的な原則を考慮します。毎週土曜日の午前中,公の話し手としての能力を向上させるために,兄弟たちに助けが与えられます。教え手は,本部や野外の経験のある兄弟たち,それに統治体の成員によって構成されています。夜は,宿題とクラスで提供する割り当ての準備に当てられます。
夫と共にパタソンにやってくる妻たちは,交わりとベテル・ホームや他の部門で割り当てられる仕事から益を得ます。協会の本部ではどのように物事が行なわれているかを見ることができます。週に一度,金曜日の午後遅くに夫と共に学校の講堂に集まって,たいてい統治体の成員によってなされる話を聞くことができます。これらの霊的な話は,とても有益かつ実際的で大変感謝されています。
支部委員は,学校の授業がさわやかで,刺激的で,健全であることを実感しています。あるクラスは,教えられたことに対する感謝を表わして,こう述べました。「ものみの塔教育センターで開かれているこの学校に出席することによって,エホバの組織のすばらしい前進を銘記することができ,いま行なわれている世界的な宣べ伝えて教える業に対する視野を広げることができました」。印象に残った点として,多くの生徒たちは次のように観察しています。『際立っていたのは,統治体の成員たちが特別な努力を払ってブルックリンから来て,討議と特別な講義の両方によって私たちを教えてくださったことです。このように注意を払ってくださることは心温まる
ものです。それは統治体の成員が全世界の神の民の福祉に深い関心を抱いている証拠です』。第二期のクラスはその決意を次のように述べています。「すべてがエホバ神の賛美とその民の霊的進歩に寄与するよう,言葉と模範によって学んだことを当てはめて,滑らかに機能する国際的な神権組織を維持することを決意しています」。第三期のクラスが授業を終えた後,生徒たちは2か月にわたる過程から得た益を振り返ってこう述べました。「この学校によって,私たちは霊的に満たされ,同時に委ねられた責任にふさわしい者であるよう動機づけられました」。
各クラスの支部委員は,それぞれの地域における王国の業の進展に関して本部のベテル家族に短い報告をしました。これらのプログラムのために,ブルックリン,パタソン,そしてウォールキルペテ一 2:17;5:9。
(さらにはカナダのオンタリオ州ジョージタウン)のベテルの施設が電話回線で結ばれました。世界の各地からの情報と経験は,エホバの民の忠実で熱心な努力の上にエホバの祝福があったことの著しい証拠を示しています。さらに,それらの報告は仲間の兄弟全体の自己犠牲的な愛や,思いと行動の一致を例証しました。―昨奉仕年度が終わるころ,別のクラスが授業を行なっていました。このクラスには,協会の47の支部からの代表者が出席していました。
宣教訓練学校の益
昨奉仕年度には,宣教訓練学校に関して大きな進展が見られました。30の異なった国で開かれた85のクラスに,62の国から来た生徒
たちが出席しました。カリキュラムが改訂され,さらに多くの教訓者たちが将来の割り当てに備えて訓練されました。王国の活動が年ごとに増加するにつれ,さらに多くの会衆が設立されます。それらの会衆を世話するために,特に必要とされている所で奉仕する意欲のある,資格にかなった長老や奉仕の僕,さらには会衆を訪問する旅行する監督が,より一層必要とされています。宣教訓練学校は,これらの必要を満たすために兄弟たちを備えるよう助けています。
エクアドル支部は,その国で訓練されたある兄弟たちは『円熟性を必要としているところで奉仕しており,他の兄弟たちは新しい会衆が設立された孤立した地域に任命された』と報告しています。コスタリカでは「これらの兄弟たちが宣べ伝える業のすべての面で率先しているため,会衆が霊的に強められました」。エルサルバドルの卒業生たちは「他の人の模範となり」,その訓練によって「彼らはより良い教え手となりました」。昨奉仕年度中,466の会衆が設立されたメキシコでは,報告によると「卒業生たちは会衆の仕事を組織する助けとして,また野外奉仕の活動を指示する上でとても有用です」。卒業生が割り当てられているポーランドの諸会衆は,「卒業生が奉仕に没頭する様子と会衆における協力の精神」に感銘を受けています。
極東では,マレーシアからフィリピンに訓練を受けに行った生徒たちが,母国に戻り「割り当てを熱心に,また良心的に果たしています」。それらの卒業生たちが,話す能力において向上したことは特筆すべきことです。バルバドス,ドミニカ共和国,グアドループ,ハイチ,マルティニーク島,プエルトリコ,そしてトリニダード島に加え,ガイアナ,フランス領ギアナが,すべて宣教訓練学校の卒業生の奉仕から益を受けています。
ボリビアでは,旅行する監督の約半分がこの学校の卒業生です。フィリピン支部が巡回監督を必要としたときには,この学校の初期
のクラスを卒業した,割り当てを受けられる資格にかなった男子を選びました。同様のことが他の国でも行なわれました。この備えがどれほど感謝されているかは,学校の様々なクラスからの心のこもった言葉に反映されています。ペルーの卒業生たちは,この授業によって『より勝った質の神聖な奉仕を捧げる備えを得た』と語りました。米国のあるクラスの生徒たちは,詩編 116編12節にあるように,「わたし[たち]に施してくださるそのすべての恩恵に対して,わたし[たち]は何をエホバにお返ししたらよいのでしょう」と,自分たち自身に問いかけました。その答えの一部はこうなっています。「兄弟たちの益のために,愛と思いやりのある牧者,熱心な福音宣明者,そして巧みな教え手となるよう私たちは決意しています」。
連続して少なくとも2年間,長老あるいは奉仕の僕として奉仕し,年齢が23歳から50歳までの健康的な独身の兄弟で,必要とされるどんな場所においても王国の関心事と仲間の兄弟たちのために仕える願いがあり,その他の資格にかなっていれば,この学校に招待される可能性があります。多くの国で,より多くの若い兄弟たちがこの学校の資格にかなうことを目標としています。それらの兄弟たちは,伝道の書 12章1節の,「あなたの若い成年の日にあなたの偉大な創造者を覚えよ」という言葉を心に留めている証拠を示しています。
真の崇拝を推し進めるために建てる
建物を建てることは,真の崇拝と結び付いた際立った活動となってきました。西暦前1512年,イスラエル国民は,エホバの導きのもとに,エホバの崇拝のために用いる持ち運び可能な幕屋を造りました。しかしそれは,民が教えを聞くために集まる集会の場所ではありませんでした。民は屋外で集まりました。それから約1,000年後,集会場所として各地に会堂が建てられるようになりました。初期
のクリスチャンは初めのうち個人の家で集まり合いました。しかし,今日の真の崇拝者に神の言葉が明示している,宣べ伝えて教える務めを果たすために,事務所や印刷工場,またそれを支えてゆく施設,さらには大きな大会ホールやそれより小さな王国会館を設けることが必要となりました。このために建設の仕事が行なわれており,昨年はその面で多くのことがなされました。1996奉仕年度中,協会は37の国で,支部もしくは翻訳奉仕事務所のために新たな施設の建設,または既にあるものの拡張を進めました。規模の大きなプロジェクトとしては,メキシコ,ブラジル,ロシア,日本,フランス,スペイン,南アフリカ,米国,ベネズエラ,オーストラリアのものがあります。22の国の建設プロジェクトのための予備作業も進められました。そのほかにも,協会に属する各地の設計事務所や建設チームは,特別に必要のある世界の多くの場所で,王国会館,大会ホール,また宣教者ホームの建設を助けました。
昨奉仕年度中,ボリビアのサンタクルス,スペインのマドリード,セネガルのダカールなどで新しい大会ホールの建設が進められました。米国では,二つの新しい大会ホール・プロジェクトが順調に進んでおり,ほかに五つが始まるところです。モザンビークのマプトの新しい大会ホールは,まだ完成前でしたが,7月の地域大会で使用されて1,938人が出席し,8月の別の大会では1万40人が出席しました。この年には,ブルキナファソのワガドゥグでも大会ホールが献堂され,ほかにコートジボワールのダロアで,またグアテマラでは二つ目のホールが献堂されました。インド洋に浮かぶ島,モーリシャスで完成した大会ホールは,予備の施設が設けてあるために小規模の地域大会にも適しています。ニューカレドニア,ヌメアの新しい大会ホールは,実用的な設計で三つの王国会館から成っていて,既に六つの会衆がそこを常時使用しています。
日本では,カルト教団によるテロ行為のために生じた強い反宗教
的感情の中で,エホバの証人は,栃木県にある皇室の別荘からあまり遠くない所に大会ホールを建てることができました。工事の完了後,土地の幾つかの自治体の役所から様々なグループが構内を見学に来ました。それらのグループを連れてきた役所の人たちは,エホバの証人が他の宗教とは異なっていることを自分の目で見てもらいたかったと述べました。何がエホバの証人を異ならせていますか。その答えは,1996年に行なわれた栃木大会ホールと北海道大会ホールの献堂式の際に統治体の成員であるジョン・バーが述べた言葉に示されています。バー兄弟は決議の形で,「神のみ言葉に記されている敬虔な原則に調和した生活をするための聖書の教えや教育を促進する」ためにこれらのホールを使用しましょう,と述べました。過ぐる1年,多くの場所で簡素ながらも良く設計された王国会館を建てることに重きが置かれました。旧東ドイツの地域では,さらに27の王国会館が完成しました。ウクライナでは現在までに47の王国会館が建てられ,ほかに56軒が建設中です。ロシアでもさらに多くの王国会館が必要です。この国で証人たちの数は急速に増加していますが,ロシア支部の管轄する会衆の約85%は定まった集会場所がありません。ジンバブエでは800ほどの会衆がありますが,その多くは屋外で集まることを余儀なくされています。関心を持つ新しい人たちの中には,このために出席をためらう人もいるほどです。しかし三つの地区建設委員会の援助によって,この国の王国会館の数は37に増えました。その結果,以前は一つの会衆しかなかった所で,今では三つや四つの会衆が一つの王国会館に集まっているところもあります。明らかに,まだたくさんの王国会館が必要です。
ポーランドからは,この1年に64もの王国会館が献堂されたことが報告されています。スロバキアでは,新築や改装によって95の王国ゼカ 4:6。
会館が設けられました。これは目ざましいことです。スロバキアの当局者の中にはとても協力的な人々もいます。しかしある市長は,自分が市長であるかぎり自分の市ではエホバの証人に決して王国会館を持たせないと宣言しました。ところがその市長は半年後に解任され,新しい行政府は以前の市長の決定を覆しました。そうです,兄弟たちはエホバの祝福のしるしに歓喜しました。―トーゴの記念式の出席者数は伝道者数の約4倍でした。伝道者一人につき2件以上の聖書研究が司会されています。そして,集まり合うための王国会館が大いに必要とされています。ふさわしい建物を設けてその必要を満たすために,協会は,兄弟たちが土のれんがを安定して生産できるように成型プレスを,また屋根がわらを作るために別のプレスを入手しました。これによって建てられた最初の王国会館は既に完成し,そのほかも建設中です。
幾つかの場合,特別の場所に建てるには国際的な協力関係に頼るしかないようでした。パプアニューギニアのポポンデッタの場合がそれで,宣教者の家と王国会館とが必要でした。ポポンデッタには船か飛行機でしか行けず,資材のほとんどは送り込まれなければなりませんでした。建設の仕事に通じたインターナショナル・ボランティアたちがオーストラリアから来ました。年若い人や姉妹たちを含む地元の伝道者たちも,進んで働きました。これらの人々が一緒に働くにつれ,国際的な兄弟関係は強まりました。川床の砂をふるいにかけて大きな石を取り除きました。量をはかってそれをバケツに入れました。一列に並んだ自発奉仕者の手渡しによって,少なくともバケツ2万7,000杯分の砂,セメント,水が,セメントミキサーの中に入れられました。徐々に建物は形を成してゆきました。新しい音響装置のテストの時が来て,壁のないこの王国会館に「王国の調べ」が響き渡ったとき,多くの人は感動を抑えること
ができず,圧倒されて立ちつくしたまま,とめどなく涙を流しました。そののち,年句が掲げられ,ついで王国会館の標示板が取り付けられました。6月には,大会のために362人がこの王国会館に集まりました。これは,現在一つしか会衆のないこの地域にも収穫を待つ大きな畑があることの証拠です。協会が使用する印刷工場,事務所,ベテル・ホームの建設プロジェクトの幾つかがこの年度中に完成し,献堂式が行なわれました。
奉仕年度の初め,9月18日に,世界本部で普通とは異なる献堂式のプログラムがありました。それは,組織全体の急速な国際的拡大を反映するものでした。ブルックリンにある,ベテルの新しい30階建て宿舎棟の落成の時が来たのです。そのプログラムには,その他の22の建物の献堂も含めるべきことが決定されました。そのうち18は本部のベテル家族が住むために改装あるいは新築された宿舎棟で,二つは車のメンテナンスのための建物,もう二つは大きな工場棟でした。それはとても楽しい晩で,話し手たちはそれまで行なわれてきた業をエホバがいかに導き,祝福してくださったかを回顧しました。これらの話を聞いたのはブルックリンに集まった人たちだけではありません。ニューヨーク州のパタソンとウォールキル,そしてカナダのオンタリオ州ジョージタウンの協会施設の人々も聞きました。このプログラムの詳細は「ものみの塔」誌,1996年4月15日号に載せられています。
世界本部で常時働く自発奉仕者は5,581人で,これらの人たちは皆,特別全時間奉仕者団の成員です。合計すると,世界に1万6,966人のベテル家族がおり,それらの人たちは協会の施設内に宿舎を与えられています。
協会の幾つかの支部でも献堂式が行なわれました。そのうち最初のものは南アメリカでした。
パラグアイ: パラグアイで最初の献堂式が行なわれて以来30年
間に,この国の証人の数は500人から5,000人を超えるまでに増えました。これは12年間の禁令にもかかわらず得られた増加です。新しい支部施設が必要でした。その必要を満たすものとして,1996年1月13日,首都のアスンシオンから10㌔ほど離れた場所で,7棟から成る建物群の献堂式が行なわれました。出席者の中には,パラグアイで以前に奉仕していた宣教者たちを含め,長年仕えてきたエホバの僕たちや,外国からの他の訪問者がいました。献堂式の話の中で,統治体のロイド・バリーは,優れた建設者であられるエホバ神のみ業について説明しました。人々はその方について学ぶ必要があります。わたしたちの仕事はそれらの人々を助けることです。新しい建物群がその業を支えるために用いられることを述べた後,バリー兄弟は,「これらの建物をエホバに捧げたいでしょうか」と問いかけ,聴衆は心からそれに賛同しました。
アイルランド: アイルランドの新しい支部施設の献堂式は,1996年5月4日に開かれました。アイルランドでは,100年余りにわたって良いたよりを宣べ伝える人々が活動してきました。しかし,ここ10年間に特に急速な増加が見られました。現在アイルランドでは,114の会衆に4,400人の伝道者がいます。これらの人たちを世話するために,ダブリンの南30㌔,ウィックロー郡ニューカッスル村のはずれの美しい田園地帯に,新しい支部施設が設けられました。その建物群は互いにつながった三つの棟から成っており,20の部屋のある宿舎棟,近代的な事務所,そして厨房と洗濯室の設備,それに車のメンテナンスと文書発送のためのスペースがあります。
建設工事に必要な技術はすべて意欲的な自発奉仕者によって提供されました。国外からの働き手たちに加わって仕事をしたのは地元の多くの兄弟姉妹たちで,自分たちにとって王国奉仕の新たな分野となったことのために力を尽くしました。アイルランドのすべての会衆がこの業に貢献しました。遠方の会衆の証人たちは土曜詩 110:3。
日の朝早くに家を出て,午前8時までに現場に来て,すぐ仕事ができるようにしました。そして,建設の作業に一日まる8時間働きました。だれも天候や割り当ての仕事に不平を言うことはありませんでした。進んで仕事を行なったのです。―統治体のゲリト・レッシュが献堂式の話を行ない,神の民の回復とその拡大を予告したイザヤの預言を説明しました。アイルランドのエホバの民は,多くの点でこの預言の成就にあずかってきました。今もそうしています。
インドネシア: インドネシアのエホバの証人にとって,ベテル施設の献堂は,まさしく昨奉仕年度のハイライトでした。この国におけるエホバの証人の活動の置かれた不利な法律上の立場を考えると,そのような望みは長年,夢でしかありませんでした。しかし1990年以来,そのような施設の必要は急を要していました。
統治体の許可と親切な指導によって,新しい施設がようやく建てられることになりました。しかし,地元の兄弟たちは建設工事に慣れていません。どのように作業を進めるのでしょうか。答えは国際
的な兄弟関係によってもたらされました。ブルックリンの建設事務所とオーストラリアの地区設計事務所が必要な準備を行ないました。100人に上るインターナショナル・サーバントとインターナショナル・ボランティアが必要な専門技術を提供しました。それらの兄弟たちは地元の兄弟たち40人を訓練し,建設工事の2年間,肩を並べて共に働きました。建設プロジェクトの期間に遭遇した数多くの様々な障害を乗り越えることができたのは,ひとえにエホバの霊によるものでした。ですから,7月19日,ジョン・バーが新しい施設の献堂を行なった日は,これらの兄弟たちにとって,ことのほか幸福で歴史的な日となりました。出席した285人のうち118人は,他の国の支部の代表者や海外から来た以前の宣教者でした。巡回監督や地域監督,そしてもちろんベテル家族の成員59人も出席し,この喜びの機会にあずかりました。
この新しい施設によって,兄弟たちは,世界の畑のこの部分に住む1万2,000人余りの伝道者のために,より生産的また効率的に仕える
ことができます。兄弟たちには大きな仕事が待ち受けています。様々な言語を話す2億人近くの人々がこの広大な群島の幾千もの島々に散らばっており,王国の音信をこれから伝えなければならないからです。献堂式の日は喜ばしい再会の日,また交わりの日ともなりました。その後の二日間,出席者たちは共に「神の平和の使者」地域大会を楽しみました。統治体の成員が出席していたこと,また海外からのゲストや代表者たちによって伝えられた挨拶や特別な報告,また経験によって,国際的な兄弟関係の霊が大会全体にみなぎりました。そうです,献堂式の一週間は,エホバの民にとって確かに特別なもの,この国の王国の業にとって歴史的なものでした。
アルバニア: アルバニアでの良いたよりを宣べ伝える業は,イタリア支部の全体的な監督のもとに行なわれています。しかし,野外のこの地域での必要を考えると,アルバニア内にも事務所を設けることが有利となりました。そのようなわけで,1996年5月12日,統治体の成員ミルトン・ヘンシェルは,首都のティラナに集まった1,534人の出席者を前に,現在アルバニアで協会の事務所およびベテル・ホームとして使用されている二つの建物の献堂の話を行ないました。
そのプログラムは,14の国から来たゲストへの次の言葉で始められました。「皆さんがやって来て,私たちの新しいベテルの献堂式に共に参加してくださることに心から感謝いたします。エホバが皆さんを祝福されますように。ようこそアルバニアへ!」 この温かな歓迎の言葉は,そこを訪ねた各グループの言語で伝えられました。
そのプログラムは,長年忠実なアルバニアのエホバの僕たちと,また新しい人たちと知り合う機会になりました。経験を話した人たちの中に,リンダ・ディグレゴリオがいました。ドミニカ共和国の宣教者であったこの姉妹と夫のマイケルは,1992年の春,アルバニア
の親族を訪ねる計画でした。しかし,統治体は,アルバニアへのその三日間の旅を2か月から3か月に延ばせないかと尋ねました。姉妹は,「三日間の訪問のはずでしたが,結局ここが新しい住みかとなりました!」と述べました。1992年5月に業が合法化されてからは,家から家に公に宣べ伝えられるようになりました。「温かくて,もてなしの精神に富む人たちが,聖書の音信にドアも心も開くようになりました。私たちは,幾つかのパンフレットや雑誌しかなく,聖書や書籍はありませんでした。それでも人々は真理にこたえ応じました。人々は集会への招きに応じ,バプテスマを受けた人たちもいます」とリンダは説明しました。5か月後,イタリアから特別開拓者たちが到着しました。ギリシャからも来ました。協会は,それらの人のために言語クラスを設けました。しかし,物質面の状況はとても難しいものでした。電気はほとんど供給されず,水も限られていました。食糧その他の物資を手に入れるのは容易ではありませんでした。何をするにせよ,列に何時間も並ばなければなりませんでした。国外から来た100人の特別開拓者に,その後,アルバニア人の特別開拓者15人が加わりました。これらの開拓者は今,共にこの国の40以上の市や町で奉仕を行なっています。月2回発行のアルバニア語の「ものみの塔」誌を含め,文書の供給も十分に受けています。1996年8月の時点で,アルバニアの伝道者は40回連続の最高数である908人に達しました。これは1年前と比べて52%の増加です。過ぐる4月の記念式に6,523人を迎えることができたのは,とりわけ大きな興奮でした。この大いに産出的な畑でなすべきことは非常に多くあります。
以上は,昨年全世界で起きた事柄のわずかな例にすぎません。前進のペースには胸の躍るものがあります。イエス・キリストの予告した業は確かに成し遂げられつつあり,それは,この方の導きのもとに,終わりが到来する前に必ず成功裏に完了されるでしょう。
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9,000万冊余りが印刷されてきた
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昨年,164の言語で本やブロシュアーが翻訳された
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雑誌の印刷と配布は記録的な数に達した
[7ページの図版]
ビデオは現在35の言語で生産されている
[12ページの図版]
1. ルーマニアのクルジュナポカの聴衆
2,3. ルーマニアのクルジュナポカとブラショフでバプテスマを受けた1,631人のうちの幾人かの人々
4. ハンガリーのネープ・スタジアムの熱意にあふれた群衆
[20,21ページの図版]
支部委員のための学校がものみの塔教育センターで開かれている
1. 学校の建物
2. 授業後の教訓者と生徒たち
3. 学校の教室
4. 生徒たちが勉強のために部屋に向かう
5. 中庭
6. 宿舎棟
7. 朝の崇拝で経験を語る生徒
[29ページの図版]
1. アイルランド支部
2,3. パラグアイ支部
[30ページの図版]
1. インドネシア支部
2. アルバニアの事務所